『然うで御座いますねえ。』とお利代は俯向《うつむ》いて言つた。実は自分も然う思つてゐたので。

     (四)の十

『然うなすつた方が可《いい》わ、小母さん。』と、智恵子は俯向いたお利代の胸の辺《あたり》を眤《じつ》と睇《みつ》めた。
『然うで御座いますねえ。』と同じ事を繰返して、稍あつてお利代は思ひ余つた様な顔をあげたが、『怎《ど》うせ行くとしましても、それやマア祖母《おばあ》さんが奈何《どう》にか、アノ快癒《なほ》つてからの事で御座いますから、何時の事だか解りませんけれども、何だかアノ、生れ村を離れて北海道あたりまで行つて、此先|奈何《どう》なることかと思ふと……。』
『それやね、決めるまでにはマア、間違ひはないでせうけれど、先方《あちら》の事も詳しくナンして見てから……。』
『其処ンところはアノ、確乎《たしか》だらうと思ひますですが……今日もアノ、手紙の中に十円だけ入れて寄越して呉れましたから……。』
『おや然うでしたか。』と言つたが、智恵子はそれに就いての自分の感想を可成《なるべく》顔に現さぬ様に努めて、『兎も角お返事はお上げなすつた方が可いわ。矢張《やつぱし》梅ちやんや新坊さんの為には……。』と、智恵子はお利代の思つてゐる様な事を理を分けて説いてみた。説いてるうちに、何か恁《か》う、自分が今|善事《いいこと》をしてると云つた様な気持がして来た。『然うで御座いますねえ。』とお利代は大きい眼を瞬《しばたた》き乍ら、未だ明瞭《はつきり》と自分の心を言出しかねる様で、『恁《か》うして先生のお世話を頂いてると、私はモウ何日《いつ》までも此儘《このまんま》で居た方が、幾等《いくら》楽しいか知れませんけれども。』
『私だつて然う思ふわ、小母さん、真箇《ほんと》に……。』と言ひかけたが、何かしら不図胸の中に頭を擡げた思想《かんがへ》があつて言葉は途断れた。『神様の思召よ。人間《ひと》の勝手にはならないんですわね。』
『先生にしたところで、』と、お利代は智恵子の顔をマヂ/\と睇《みつ》め乍ら、『怎《どう》せ御結婚なさらなけやなりませんでせうし……。』
『ホヽヽ。』と智恵子は軽く笑つて、
『小母さん、私まだ考へても見た事が無くつてよ。自分の結婚なんか。』
 話題《はなし》はそれで逸《そ》れた。程なくしてお利代が出てゆくと、智恵子はやをら立つて袴を脱いで、丁寧にそれを畳ん
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