両側百戸足らずの家並《いへなみ》の、十が九までは古い茅葺勝《かやぶきがち》で、屋根の上には百合や萱草《かや》や桔梗が生えた、昔の道中記にある渋民の宿場の跡がこれで、村人はたゞ町と呼んでゐる。小さいながらも呉服屋、菓子屋、雑貨店、さては荒物屋、理髪店《とこや》、豆腐屋まであつて、素朴な農民の需要は大抵|此処《ここ》で充される。町の中央《なかほど》の、四隣《あたり》不相応に厳《いかめ》しく土塀を繞《めぐら》した酒造屋《さかや》と対合《むかひあ》つて、大きい茅葺の家《うち》に村役場の表札が出てゐる。
役場の外に、郵便局、駐在所、登記所も近頃新しく置かれた。小学校は、町の南端れ近くにある。直径《さしわたし》尺五寸もある太い丸太の、頭を円くして二本植ゑた、それが校門で、右と左、手頃の棒の先を尖らして、無造作に鋼線《はりがね》で繋《つな》いだ木柵は、疎《まば》らで、不規則で、歪んで、破れた鎧の袖を展《の》べた様である。
柵の中は、左程広くもない運動場になつて、二階建の校舎が其奥に、愛宕山《あたごやま》の欝蒼《こんもり》した木立を背負《しよ》つた様《やう》にして立つてゐる。
日射《ひざし》は午後四時に近い、西向の校舎は、後《うしろ》の木立の濃い緑と映り合つて殊更に明るく、授業は既《とう》に済んだので、坦《たひら》かな運動場には人影もない、夏も初の鮮かな日光が溢れる様に流れた。先刻《さきほど》まで箒を持つて彷《うろつ》いてゐた、年老つた小使も何処かに行つて了つて、隅の方には隣家《となり》の鶏が三羽、柵を潜つて来てチヨコ/\遊び廻つてゐる。
と、門から突当りの玄関が開《あ》いて、女教師の日向《ひなた》智恵子はパツと明るい中へ出て来た。其拍子に、玄関に隣《とな》つた職員室の窓から賑やかな笑声が洩れた。
クツキリとした、輪廓の正しい、引緊つた顔を真面《まとも》に西日が照す。切《きれ》のよい眼を眩しさうにした。紺飛白《こんがすり》の単衣に長過ぎる程の紫の袴――それが一歩《ひとあし》毎に日に燃えて、静かな四囲《あたり》の景色も活きる様だ。齢は二十一二であらう。少し鳩胸の、肩に程よい円《まろ》みがあつて、歩方《あるきかた》がシツカリしてゐる。
門を出て右へ曲ると、智恵子は些《ちよつ》と学校を振返つて見て、『気障《きざ》な男《ひと》だ。』と心に言つた。故もない微笑《ほほゑみ》がチラリ
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