に圧迫を感じてるので。
 それを紛らかさうとして、何か話を始め様としたが、兎角《とかく》、言葉が喉に塞《つま》る。其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》筈はないと自分で制しながらも、断々《きれぎれ》に、信吾が此女を莫迦《ばか》に讃めてゐた事、自分がそれを兎や角|冷《ひや》かした事を思出してゐたが、腰を掛けるを切懸《きつかけ》に、
『貴女は何日《いつ》お帰りになります?』と何気なく口を切つた。
『三日に、アノ帰らうと思つてます。』
『然うですか。』
『貴方は?』
『僕は何日でも可いんですが、矢張三日頃になるかも知れません。』と言つたが、不図思ひついた事がある様に、『貴女は盛岡の中学に図画の教師をしてゐる男を御存じありませんか? 渡辺金之助といふ?』
『存じて居ります。』と、智恵子は驚いた様な顔をする。『貴方はアノ、那《あ》の方と同じ学校を……?』
『然《さ》うです。美術学校で同級だつたんですが、……あゝ御存じですか! 然うですか!』と鷹揚に頷いて、『甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》で居るんでせう? まだ結婚しないでせうか?』
『え、まだ為さらない様ですが。』と、※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた眼を男に注いで、『貴方はあの、渡辺さんへ被行《いらつしや》るんで御座いますか。』
『え、突然訪ねて見ようと思ふンですがね。』と、少し腑に落ちぬ様な目付をする。
『マア、左様《さう》で御座いますか!』と一層驚いて、『私《わたし》もアノ、其家《そこ》へ参りますので……渡辺さんの妹様《いもうとさん》と、私と矢張《やはり》同じ級《クラス》で御座いまして。』
『妹様と? 然うですか! これは不思議だ!』と吉野も流石に驚いた。
『アノ、久子さんと仰《おつしや》います……。』
『然うですか! ぢや何ですね、貴女と僕と同《おんな》じ家に行くんで! これは驚いた。』
『マア真箇《ほんと》に!』と言ひ乍ら、智恵子は忽ち或る不安に襲れた。静子の事が心に浮んだので。

     (七)の一

 宿直の森川は一日の留守居を神山富江に頼んで、鮎釣《あゆかけ》に出懸けた。
 休暇になつてからの学校ほど伽藍堂《がらんどう》に寂しいものはない。建物が大きいのと、平生耳を聾する様な喧騒
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