持つてゐる鋭い刃物に対手が手を出すのを、ハラ/\して見てゐる様な気がしてゐたが、信吾の言語《ことば》は、故意《わざと》かは知れないが余りに平気だ、余りに冷淡だ。今迄の心配は杞憂に過ぎなかつた様にも思ふ。又、兄は自ら偽つてるのだとも思ふ。そして、心の底の奈辺《どこ》かでは、信吾がモウ清子の事を深く心にとめても居ないらしい口吻《くちぶり》を、何となく不満足に感じられる。
その素振を見て取つて、信吾は亦自分の心を妹に勝手に忖度《そんたく》されてる様な気がして、これも黙つて了つた。
二人は並んで歩いた。蒸す様な草いきれと、乾いた線路の土砂《つち》の反射する日光とで、額は何時しか汗ばんだ。静子の顔は、先刻《さつき》の怡々《いそいそ》した光が消えて、妙に真面目に引緊つてゐた。小妹共はモウ五六町も先方《さき》を歩いてゐる。十間許り前を行く松蔵の後姿は、荷が重くて屈《こご》んでるから、大きい鞄に足がついた様だ。
稍あつてから信吾は、
『あの問題は、一体|奈何《どう》なつてるんだい?』と妹を見かへつた。
『あの問題ツて、……松原の方?』と兄の顔を仰ぐ。
『ああ。余程切迫してるのかい?』
『さうぢや無いんですけど……。』
『手紙の様子ぢや然う見えたんだが。』
『さうぢや無いんですけど。』と繰返して、『怎《どう》せ貴兄《あなた》の居る間《うち》に、何とか決めなけやならない事よ。』
『然うか、それで未だ先方には何とも返事してないんだね?』
『ええ。兄様《にいさん》の帰つてらつしやるのを待つてたんだわ。』
信吾は少し言淀んで、『昨日発つ時にね、松原君が上野まで見送りに来て呉れたんだ。……』
静子は黙つて兄の顔を見た。松原|政治《せいぢ》といふのは、近衛の騎兵中尉で、今は乗馬学校の生徒、静子の縁談の対手なのだ。
(一)の四
『発つ四五日前にも、』と信吾は言葉を次いだ。『突然|訪《や》つて来て大分夜更まで遊んで行つた。今度の問題に就いちや別段話もなかつたが、(俺もモウ二十七ですからねえ。)なんて言つてゐたつけ。』
静子は黙つて聞いてゐた。
『休暇で帰るのに見送《みおくり》なんか為《し》て貰はなくツても可《い》いと言つたのに、態々《わざわざ》俥でやつて来てね。麦酒《びーる》や水菓子なんか車窓《まど》ン中へ抛り込んでくれた。皆様《みなさん》に宜敷ツて言つてたよ。』
『然うで
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