表を一旦お戻しやる積りだつたのだなす?』
『ハ。然うでごあんす。何れ後刻《あと》でお話しようと思つて、受け取つた譯でアごあせん、一寸お預りして置いただけでごあんす。』
『お戻しやれ、そだら。』と、東川は命令する樣な調子で言つた。『お戻しやれ、お聞きやつた樣な譯で今それを出されでア困りあんすでば。』
『ハ、奈何せ私も然う思つてだのでごあんすアハンテ、お戻しすあんす。』と、顏を曇らして言つて、頬を凹ませてヂウ/\する煙管を強く吸つた。戻すも具合惡く、戻さぬも具合惡いといつた態度《やうす》である。
健は横を向いて、煙管の煙をフウと長く吹いた。
『お戻しやれ、俺ア學務委員の一人として勸告しあんす。』
安藤は思ひ切り惡く椅子を離れて、健の前に立つた。
『千早さん、先刻《さつき》は急しい時で……』と諄々《くど/\》辯疏《いひわけ》を言つて、『今お聞き申して居れば、役場の方にも種々《いろ/\》御事情がある樣でごあんすゝ、一寸お預りしただけでごあんすから、兎に角これはお返し致しあんす。』
然う言つて、解職願を健の前に出した。その手は顫へてゐた。
健は待つてましたと言はぬ許りに急に難《むづか》し
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