百姓達は、床板に膝を突いて、交る/″\先を爭ふ樣に健に挨拶した。
『老婆《おばあ》さん、いくら探しても、松三郎といふのは役場から來た學齡簿の寫しにありませんよ。』と、孝子は心持眉を顰めて、古手拭を冠つた一人の老女《としより》に言つてゐる。
『ハア。』と老女は當惑した樣に眼をしよぼつかせた。
『無い筈はないでせう。尤も此邊では、戸籍上の名と家で呼ぶ名と違ふのがありますよ。』と、健は喙を容れた。そして老女に、
『芋田の鍛冶屋だつたね、婆さんの家は?』
『ハイ。』
『いくら見てもありませんの。役場にも松三郎と屆けた筈だつて言ひますし……』と孝子はまた初めから帳簿を繰つて、『通知書を持つて來ないもんですから、薩張分りませんの。』
『可怪《をかし》いなア。婆さん、役場から眞箇《ほんと》に通知書が行つたのかい? 子供を學校に出せといふ書附が?』
『ハイ。來るにア來ましたども、弟の方のな許りで、此兒《これ》(と顎で指して、)のなは今年ア來ませんでなす。それでハア、持つて來なごあんさす。』
『今年は來ない? 何だ、それぢや其兒は九歳《こゝのつ》か、十歳《とを》かだな?』
『九歳《こゝのつ》。』と、
前へ
次へ
全40ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング