屹と口を結んだ、額の廣い、その顏を見上げた。
『左樣なら。』
 健は玄關を出た。處々乾きかゝつてゐる赤土の運動場には、今年初めての黄ろい蝶々が二つ、フハ/\と縺れて低く舞つてゐる。隅の方には、柵を潜つて來た四五羽の※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]が、コッ/\と遊んでゐた。
 太い丸太の尖を圓めて二本植ゑた、校門の邊へ來ると、何れ女生徒の遺失《おと》したものであらう、小さい赤櫛が一つ泥の中に落ちてゐた。健はそれを足駄の齒で動かしでみた。櫛は二つに折れてゐた。
 健が一箇年だけで罷めるといふのは、渠が最初、知合ひの郡視學に會つて、昔自分の學んだ郷里の學校に出てみたい、と申込んだ時から、その一箇年の在職中も、常々言つてゐた事で、又、渠自身は勿論、渠を知つてゐるだけの人は、誰一人、健を片田舍の小學教師などで埋もれて了ふ男とは思つてゐなかつた。小さい時分から霸氣の壯んな、才氣の溢れた、一時は東京に出て、まだ二十にも足らぬ齡で著書の一つも出した渠――その頃數少なき年少詩人の一人に、千早林鳥の名のあつた事は、今でも記憶してゐる人も有らう。――が、侘しい百姓村の單調な其日々々を、朝から晩まで、熱心に又樂しさうに、育ち卑しき涕垂《はなたら》しの兒女《こども》等を對手に送つてゐるのは、何も知らぬ村の老女達《としよりたち》の目にさへ、不思議にも詰らなくも見えてゐた。
 何れ何事かやり出すだらう! それは、その一箇年の間の、四圍の人の渠に對する思惑《おもわく》であつた。
 加之、年老《としと》つた兩親と、若い妻と、妹と、生れた許りの女兒と、それに渠を合せて六人の家族は、いかに生活費のかゝらぬ片田舍とは言へ、又、儉約家の母親がいかに儉《しま》つてみても、唯八圓の月給では到底喰つて行けなかつた。女三人の手で裁縫物など引き受けて遣つてもゐたが、それとても狹い村だから、月に一圓五十錢の收入は覺束ない。
 そして、もう六十に手の達いた父の乘雲は、家の慘状《みじめさ》を見るに見かねて、それかと言つて何一つ家計の補助《たし》になる樣な事も出來ず、若い時は雲水もして歩いた僧侶上りの、思ひ切りよく飄然と家出をして了つて、この頃漸く居處が確まつた樣な状態であつた。
 健でないにしたところが、必ず、何かもつと收入の多い職業を見附けねばならなかつたのだ。
『健や、四月になつたら學校は罷めて、何處さか行ぐ
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