聲高に友達を呼び起して行くのを、孝子は毎朝の樣にまだ臥床の中で聞いたものだ。冬になつて朝讀が出來なくなると、健は夜な/\九時頃までも生徒を集めて、算術、讀方、綴方から歴史や地理、古來の偉人の傳記逸話、年上の少年には英語の初歩なども授けた。此二月村役場から話があつて、學校に壯丁教育の夜學を開いた時は、三週間の期間を十六日まで健が一人で教へた。そして終ひの五日間は、毎晩裾から吹き上げる夜寒を怺へて、二時間も三時間も教壇に立つた爲に風邪を引いて寢たのだといふ事であつた。
 それでゐて、健の月給は唯八圓であつた。そして、その八圓は何時でも前借になつてゐて、二十一日の月給日が來ても、いつの月でも健には、同僚と一緒に月給の渡されたことがない。四人分の受領書を持つて行つた校長が、役場から歸つて來ると、孝子は大抵紙幣と銀貨を混ぜて十二圓渡される。檢定試驗上りの秋野は十三圓で、古い師範出の校長は十八圓であつた。そして、校長は氣の毒相な顏をし乍ら、健にはぞんざいな字で書いた一枚の前借證を返してやる。渠は平然《けろり》としてそれを受取つて、クル/\と圓めて火鉢に燻《く》べる。淡い焔がメラ/\と立つかと見ると、直ぐ消えて了ふ。と、渠は不揃ひな火箸を取つて、白くなつて小く殘つてゐる其灰を突く。突いて、突いて、そして上げた顏は平然《けろり》としてゐる。
 孝子は氣の毒さに見ぬ振りをしながらも、健の其態度をそれとなく見てゐた。そして譯もなく胸が迫つて泣きたくなることがあつた。其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]時は、孝子は用もない帳簿などを弄《いぢく》つて、人後《ひとあと》まで殘《のこ》つた。月給を貰つた爲めに怡々《いそ/\》して早く歸るなどと、思はれたくなかつたのだ。
 孝子の目に映つてゐる健は、月給八圓の代用教員ではなかつた。孝子は或る時その同窓の女友達の一人へ遣つた手紙に、この若い教師のことを書いたことがある。若しや詰らぬ疑ひを起されてはといふ心配から、健には妻子のあることを詳しく記した上で、
『私の學校は、この千早先生一人の學校と言つても可い位よ。奧樣やお子樣のある人とは見えない程若い人ですが、男生でも女生でも千早先生の言ふことをきかぬ者は一人もありません。そら、小野田教諭がいつも言つたでせう――教育者には教育の精神を以て教へる人と、教育の形式で教へ
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