すつかり》普通の女でなくなつた証拠には、アレ浩さんも見たでせう、乞食をして居乍ら、何時でもアノ通り紅《べに》をつけて新らしい下駄を穿いて居ますよ。夜は甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》処に寝るんですかネー。――
 此お夏は今、狭い白狐龕の中にベタリと坐つて、ポカンとした顔を入口に向けて居たのだ。余程早くから目を覚まして居たのであらう。
 中腰になつてお夏を睨めた繁は、何と思つたか、犬に襲はれた猫のする様に、唇を尖らして一声『フウー』と哮《いが》んだ。多分平生自分の家として居る場所を、他人に占領された憤怒を洩したのであらう。
 お夏も亦何と思つたか、卒《には》かに身を動かして、斜に背《せな》を繁に向けた。そして何やら探す様であつたが、取り出したのは一個の小さい皿――紅皿である、呀《オヤ》と思つて見て居ると、唾に濡した小指で其紅を融かし始めて二度三度薄からぬ唇へ塗りつけた。そして、チヨイト恥かしげに繁の方に振向いて見た。
 繁はビク/\と其身を動かした。
 お夏は再び口紅をつけた。そして再び振向いて恥かしげに繁を見た。
 繁はグツと喉
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