か》ら出会した事件中の最大事件と信じ、其為に二十幾年来養ひ来つた全思想を根底から揺崩された。そして、今新らしい心的生涯の原頭《げんとう》に立つた。――然《さう》だ、今自分の立つて居る処は、慥《たし》かに『原頭』である。自分はまだ、一分も、一厘も、此大問題の解決に歩を進めて居らぬのだ。或は今夜此筆を擱《さしお》く迄には、何等か解決の端《はし》を発見するに到るかも知れぬが、……否々《いやいや》、それは望むべからざる事だ。此新たに掘り出された『ローゼツタ石』の、表に刻まれた神聖文字《ハイエログリフ》は、如何にトマス・ヨングでもシヤムボリヲンでも、レプシウスでも、とても十年二十年に読み了る事が出来ぬ様に思はれる。

 自分が今朝|新山祠畔《しんざんしはん》の伯母の家を出たのは、大方八時半頃でがなあつたらう。昨日の雨の名残の潦《みづたまり》が路の処々に行く人の姿々を映して居るが、空は手掌《てのひら》程の雲もなく美しく晴れ渡つて、透明な空気を岩山の上の秋陽《あきのひ》がホカ/\と温めて居た。
 加賀野新小路の親縁《みより》の家では、市役所の衛生係なる伯父が出勤の後で、痩せこけた伯母の出して呉れた麦
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