、54−下−20]々《さやさや》と声あつて、神の笑《ゑま》ひの如く、天上を流れた。――朝風の動き初《そ》めたのである。と、巨人は其|被《き》て居る金色の雲を断《ちぎ》り断つて、昔ツオイスの神が身を化《け》した様な、黄金の雨を二人の上に降らせ始めた。嗚呼、嗚呼、幾千万片と数の知れぬ金地の舞の小扇が、縺《もつ》れつ解けつヒラ/\と、二人の身をも埋むる許り。或ものは又、見えざる糸に吊らるる如く、枝に返らず地に落ちず、光《つや》ある風に身を揉ませて居る。空に葉の舞、地の人の舞! 之を見るもの、上なるを高しとせざるべく、下なるを卑《ひく》しとせざるべし。黄金の葉は天上の舞を舞ふて地に落つるのだ。狂人繁と狂女お夏とは神の御庭に地上の舞を舞ふて居るのだ。
 突如、梵天《ぼんてん》の大光明が、七彩|赫灼《かくしやく》の耀《かがやき》を以て、世界|開発《かいほつ》の曙の如く、人天《にんてん》三界を照破した。先づ、雲に隠れた巨人の頭《かしら》を染め、ついで、其金色の衣を目も眩《くらめ》く許《ばかり》に彩り、軈《やが》て、普《あま》ねく地上の物又物を照し出した。朝日が山の端を離れたのである。
 見よ、見よ、踊りに踊り、舞ひに舞ふお夏と繁が顔のかがやきを。痩せこけて血色のない繁は何処へ行つた? 頸筋黒くポカンとしたお夏は何処へ行つた? 今此処に居るのはこれ、天《そら》の日の如くかがやかな顔をした、神の御庭の朝の舞に、遙か下界から撰び上げられた二人の舞人である。金色の葉がしきりなく降つて居る。金色の日光が鮮かに照して居る。其葉其日光のかがやきが二人の顔を恁《かう》染めて見せるのか? 否、然《さう》ではあるまい。恐らくは然ではあるまい。
 若し然とすると、それは一種の虚偽である。此荘厳な、金色燦然たる境地に、何で一点たりとも虚偽の陰影の潜むことが出来やう。自分は、然でないと信ずる。
 全く心の働きの一切を失つて、唯、恍として、茫として、蕩として、目前の光景に我を忘れて居た自分が、此時僅かに胸の底の底で、あるかなきかの声で囁やくを得たのは、唯次の一語であつた。――曰く、『狂者は天の寵児だと、プラトーンが謂つた。』と。
 お夏が声を張り上げて歌つた。
『惚れたーアー惚れたーのーオ、若松様アよーオー、ハア惚れたよーツ。』
『ハア惚れた惚れた惚れたよやさー。』
と繁が次いだ。二人の天の寵児が測り難き全
前へ 次へ
全26ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング