でゾロ/\と生徒の群り出づる時、中学校の門前に衛兵の如く立つて居て、出て来る人ひとり/\に慇懃《いんぎん》な敬礼を施した事や、或る時、美人の名の高かつた、時の県知事の令夫人が、招魂社の祭礼の日に、二人の令嬢と共に参拝に行かれた処が、社前の大広場、人の群つて居る前で、此男がフイと人蔭から飛び出して行つて、大きい浅黄色の破風呂敷《やれふろしき》を物をも云はず其盛装した令夫人に冠せた事などは、皆自分の嘗て親しく目撃したところであつた。彼には父もあり母もある、また家もある。にも不拘《かかはらず》、常に此新山堂下の白狐龕《びやつこがん》を無賃の宿として居るといふ事も亦、自分の聞き知つて居た処である。
 異装の男の何人であるかを見定めてからは、自分は平生の通りの心地になつた。そして、可成彼に暁《さと》られざらむ様に息を殺して、好奇心を以て仔細に彼の挙動に注目した。
 薄笑をして俯向き乍ら歩いてくる彼は、軈《やが》て覚束なき歩調《あしどり》を進めて、白狐龕の前まで来た。そして、礑《はた》と足を止めた。同時に『ウツ』と声を洩して、ヒヨロ高い身体を中腰にした。ヂリ/\と少許《すこし》づつ少許づつ退歩《あとしざり》をする。――此名状し難き道化た挙動は、自分の危く失笑せむとするところであつた。
 殆んど高潮に達した好奇心を以て、自分は彼の睨んで居る龕の内部を覗いた。
 今迄|毫《がう》も気が付かなんだ、此処にも亦一個の人間が居る。――男ではない。女だ。赤縞の、然し今はただ一色《ひといろ》に穢《よご》れはてた、肩揚のある綿入を着て、グル/\巻にした髪には、よく七歳《ななつ》八歳《やつ》の女の児の用ゐる赤い塗櫛をチヨイと※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]して、二十《はたち》の上を一つ二つ、頸筋は垢で真黒だが、顔は円くて色が白い…………。
 これと毫厘《がり》寸法の違はぬ女が、昨日の午過《ひるすぎ》、伯母の家の門に来て、『お頼《だん》のまうす、お頼《だん》のまうす。』と呼んだのであつた。伯母は台所に何か働いて居つたので、自分が『何家《どこ》の女客ぞ』と怪しみ乍ら取次に出ると、『腹が減つて腹が減つて一足も歩かれなエハンテ、何卒《どうか》何か……』と、いきなり手を延べた。此処へ伯母が出て来て、幾片かの鳥目を恵んでやつたが、後で自分に恁《かう》話した。――アレは
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