声の如何に高かつたかは、自分が悠々たる追憶の怡楽《いらく》の中から、俄かに振返つて、其児供の指《ゆびさ》す方を見たのでも解る。これは恰度、門口へ来た配達夫に、『△△さん、電報です。』と穏かに云はれるよりも、『電報ツ。』と取つて投げる様なけたたましい声で叫ばれる方が、一層其電文が心配なと同じ事で、自分は実際、甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》珍らしい葬列かと、少からず慌てたのであつた。
 此頓狂なる警告は、嘘ではなかつた。幅広く、塵も留めず美くしい、温かな秋の日に照らされた大逵《おほどほり》を、自分が先刻《さつき》来たと反対な方角から、今一群の葬列が徐々として声なく練つて来る。然も此葬列は、実に珍らしいものであつた。唯珍らしい許りではない、珍らしい程見すぼらしいものであつた。先頭に立つたのは、処々裂けた一対の高張、次は一対の蓮華の造花《つくりばな》、其次は直ぐ棺である。此棺は白木綿で包まれた上を、無造作に荒繩で縛《ばく》されて、上部に棒を通して二人の男が担いだのであつた。この後には一群の送葬者が随つて居る。数へて見ると、一群の数は、驚く勿れ、たつた六人であつた。驚く勿れとは云つたものの、自分は此時少なからず驚いたのである。更に又驚いたのは、此六人が、揃ひも揃つて何れも、少しも悲し気な処がなく、静粛な点もなく、恰も此見すぼらしい葬式に会する事を恥づるが如く、苦い顔をして遽々然《きよろきよろ》と歩いて来る事である。自分は、宛然《さながら》大聖人の心の如く透徹な無辺際の碧穹窿《あをてんじやう》の直下、広く静かな大逵を、この哀れ果敢なき葬列の声無く練り来るを見て、或る名状し難き衝動を心の底の底に感じた。そして、此光景は蓋し、天が自分に示して呉れる最も冷酷なる滑稽の一であらうなどと考へた。と又、それも一瞬、これも一瞬、自分は、『これは囚人の葬式だナ。』と感じた。
 理由《いはれ》なくして囚人の葬式だナと、不吉極まる観察を下すなどは、此際随分突飛な話である。が、自分には其理由がある。――たしか十一歳の時であつた。早く妻子に死別れて独身生活《ひとりぐらし》をして居た自分の伯父の一人が、窮迫の余り人と共に何か法網に触るる事を仕出来《しでか》したとかで、狐森一番戸に転宅した。(註、狐森一番戸は乃ち盛岡監獄署なり。)此時年齢が既に六
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