氣性の感化を蒙つたのかも知れない。
此小使室の土間に、煉瓦で築き上げた大きな竈《かまど》があつて、其上に頗る大きな湯釜が、昔の儘に湯を沸《たぎ》らして居る。自分は此學校の一年生の冬、百二十人の級友に唯二つあてがはれた煖爐《ストーブ》には、力の弱いところから近づく事も出來ないで、よくこの竈《かまど》の前へ來て晝食のパンを噛つた事を思出した。そして、此處を立去つた。
門を出て、昔十分休毎によく藻外と花郷と三人で樂しく語り合つた事のある、玄關の上の大露臺《だいバルコニイ》を振仰いだ。と、恰度此時、女乞食の周匝《めぐり》に立つて居た兒供の一人が、頓狂な聲を張上げて叫んだ。
『あれ/\、がんこ[#「がんこ」に傍点]ア來た、がんこ[#「がんこ」に傍点]ア來た。』がんこ[#「がんこ」に傍点]とは盛岡地方で『葬列』といふ事である。此聲の如何に高かつたかは、自分が悠々たる追憶の怡樂《いつらく》の中から、俄かに振返つて、其兒供の指す方を見たのでも解る。これは恰度、門口へ來た配達夫に、『△△さん、電報です。』と穩かに云はれるよりも、『電報ツ。』と取つて投げる樣なけたたましい聲で叫ばれる方が、一層其電文が
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