ヒョウ[#「ヒョウ」に傍点]と口笛を吹くと、矢張ヒョウ[#「ヒョウ」に傍点]と答へた。今度はホーホケキョ[#「ホーホケキョ」に傍点]とやる、(これは自分の名の暗號であつた。)復ヒョウ[#「ヒョウ」に傍点]と答へた。これだけで訪問の禮は既に終つたから、平生《いつも》の如く入つて行かうと思つて、上框《あがりかまち》の戸に手をかけようとすると、不意、不意、暗中に鐵の如き手あつて自分の手首をシタタカ握つた。愕然《びつくり》し乍ら星明《ほしあかり》で透して見たが、外套を著て頭巾を目深に被つた中脊の男、どうやら先刻《さつき》畷で逢つた奴に似て居る。
『立花、俺に見附つたが最後ぢやぞッ。』
 驚いた、眞に驚いた。この聲は我が中學の體操教師、須山といふ豫備曹長で、校外監督を兼ねた校中第一の意地惡男の聲であつた。
『先刻田圃で吹いた口笛は、あら何ぢや? 俗歌ぢやらう。後を尾《つ》けて來て見ると、矢張口笛で密淫賣《ぢごく》と合圖をしてけつかる。……』
 自分は手を握られた儘、開いた口が塞がらぬ。
『此間職員會議で、貴樣が毎晩一人で外出するが、行先がどうも解らん。大に怪しいちふ話が出た。貴樣の居る仁王小路が
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