同窓であつた男の見える事がある。それは大抵大工か鍛冶屋か荒物屋かである。又、小娘の時に見覺えて置いた女の、今は髮の結ひ方に氣をつける姉さんになつたのが、其處此處の門口に立つて、呆然《ぼんやり》往來を眺めて居る事もある。此等舊知の人は、決して先方から話かける事なく、目禮さへ爲《す》る事がない。これは、自分には一層雨の盛岡の趣味を發揮して居る如く感ぜられて、仲々奧床しいのである。總じて盛岡は、其人間、其言語、一切皆|克《よ》く雨に適して居る。人あり、來つて盛岡の街々を彷徨《さまよ》ふこと半日ならば、必ず何街《どこ》か理髮床の前に、銀杏髷《いてふまげ》に結つた丸顏の十七八が立つて居て、そして、中なる剃手《そりて》と次の如き會話を交《まじ》ふるを聞くであらう。
女『アノナハーン、アエヅダケァガナハーン、昨日《キノナ》スアレー、彼《ア》ノ人《シタ》アナーハン。』
男『フンフン、御前《おめあ》ハンモ行《エツ》タケスカ。フン、眞《ホ》ニソダチナハン。アレガラナハン、家《エ》サ來ルヅギモ面白《オモシエ》ガタンチェ。ホリヤ/\、大變《テイヘン》ダタァンステァ。』
此奇怪なる二人の問答には、少くとも
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