に作松に叱られたか知れない。その父は、半歳程經つて近所に火事のあつた時、人先に水桶を携《も》つて會堂の屋根に上つて、足を辷らして落ちて死んだ。天晴な殉教者だと口を極めて布教師は作松の徳を讃へた。母のお安もそれから又半歳經つて、腦貧血を起して死んだ。
兩親の死んだ時、松太郎は無論涙を流したが、それは然し、悲しいよりも驚いたから泣いたのだ。他《ひと》から鄭重に悼辭《くやみ》を言はれると、奈何して俺は左程悲しくないだらうと、それが却つて悲しかつた事もある。其後も矢張その會堂に起臥して、天理教の教理、祭式作法、傳道の心得などを學んだが、根が臆病者で、これといふ役にも立たない代り、惡い事はカラ出來ない性《たち》なのだから、家を潰させ、父を殺し、母を死なしめた、その支部長が、平常可愛がつて使つたものだ。また渠は、一體其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]人を見ても羨むといふことのない。――羨むには羨んでも、自分も然う成らうといふ奮發心の出ない性で、從つて、食ふに困るではなし、自分が無財産だといふことも左程苦に病まなかつた。時偶《ときたま》、雜誌の口繪で縹緻《き
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