へて、裁判になつても敗けぬ様にして置いて、突然売飛ばして了はうとか、平常《ふだん》心から敬つてゐる支部長を殺さうとかいふ、全然《まるで》理由《わけ》の無い反抗心を抱いたものだが、それも独寝の床に人間並《ひとなみ》の出来心を起した時だけの話、夜が明けると何時しか忘れた。
 兎角する間に今年の春になると、支部長は、同じ会堂で育て上げた、松太郎初め六人の青年を大和の本部に送つた。其処で三ヶ月修行して、「教師」の資格を得て帰ると、今度は、県下に各々区域を定《き》めて、それぞれ布教に派遣されたのだ。
 さらでだに元気の無い、色沢《いろつや》の悪い顔を、土埃《ほこり》と汗に汚なくして、小い竹行李|二箇《ふたつ》を前後《まへうしろ》に肩に掛け、紺絣《こんがすり》の単衣《ひとへ》の裾を高々と端折り、重い物でも曳擦る様な足調《あしどり》で、松太郎が初めて南の方からこの村に入つたのは、雲一つ無い暑熱《あつさ》盛りの、恰度八月の十日、赤い赤い日が徐々《そろそろ》西の山に辷りかけた頃であつた。松太郎は、二十四といふ齢こそ人並に喰つてはゐるが、生来《うまれつき》の気弱者、経験《おぼえ》のない一人旅に今朝から七里余の知らない路を辿つたので、心の膸《しん》までも疲れ切つてゐた。三日、四日と少しは慣れたものの、腹に一物も無くなつては、「考へて見れば目的《めあて》の無い旅だ!」と言つた様な、朦乎《ぼんやり》した悲哀《かなしみ》が、粘々《ねばねば》した唾と共に湧いた。それで、村の入口に入るや否や、吠えかかる痩犬を半分無意識に怕《こは》い顔をして睨み乍ら、脹《ふや》けた様な頭脳《あたま》を搾り、有らん限りの智慧と勇気を集中《あつ》めて、「兎も角も、宿を見付ける事《こつ》た。」と決心した。そして、口が自《おのづ》からポカンと開いたも心付かず、臆病らしい眼を怯々然《きよろきよろ》と両側の家に配つて、到頭、村も端《はづれ》近くなつた辺《あたり》で、三国屋《さんごくや》といふ木賃宿の招牌《かんばん》を見付けた時は、渠《かれ》には既《も》う、現世《このよ》に何の希望も無かつた。
 翌朝目を覚ました時は、合宿を頼まれた二人――六十位の、頭の禿げた、鼻の赤い、不安な眼付をした老爺《おやぢ》と其娘だといふ二十四五の、旅疲労《たびづかれ》の故《せゐ》か張合のない淋しい顔の、其癖何処か小意気に見える女。(何処から来て何処へ行くのか知らないが、路銀の補助《たし》に売つて歩くといふ安筆を、松太郎も勧められて一本買つた。)――その二人は既《も》う発つて了つて、穢《きたな》い室《へや》の、補布《つぎ》だらけな五六の蚊帳《かや》の隅《すみつ》こに、脚を一本蚊帳の外に投出して、仰《あふの》けに臥てゐた。と、渠は、前夜同じ蚊帳に寝た女の寝息や寝返りの気勢《けはい》に酷く弱い頭脳を悩まされて、夜更まで寝付かれなかつた事も忘れて、慌てて枕の下の財布を取出して見た。変りが無い。すると又、突然《いきなり》褌《ふんどし》一点《ひとつ》で蚊帳の外に跳出《とびだ》したが、自分の荷物は寝る時の儘《まんま》で壁側にある。ホツと安心したが、猶念の為に内部《なか》を調べて見ると、矢張変りが無い。「フフヽヽ」と笑つて見た。
「さて、奈何《どう》為ようかな?」恁《か》う渠《かれ》は、額に八の字を寄せ、夥しく蚊に喰はれた脚や、蚤《のみ》に攻められて一面に紅らんだ横腹《よこつぱら》を自棄《やけ》に掻き乍ら、考へ出した。昨日着いた時から、火傷《やけど》か何かで左手《ひだり》の指が皆内側に屈《まが》つた宿の嬶《かかあ》の待遇振《もてなしぶり》が、案外親切だつたもんだから、松太郎は理由《わけ》もなく此村が気に入つて、一つ此地《ここ》で伝道して見ようかと思つてゐたのだ。「さて、奈何為《どうし》ようかな。」恁《か》う何回も何回も自分に問うて見て、仲々決心が付かない。「奈何《どう》為よう。奈何為よう。」と、終ひには少し懊《ぢれ》つたくなつて来て、愈々以て決心が付かなくなつた。と言つて、発たうといふ気は微塵もないのだ。「兎も角も。」この男の考へ事は何時でも此処に落つる。「兎も角も、村の状態を見て来る事に為よう。」と決めて、朝飯が済むと、宿の下駄を借りて戸外に出た。
 前日|通行《とほ》つた時は百二三十戸も有らうと思つたのが数へて見ると六十九戸しか無かつた。それが又|穢《きたな》い家許りだ。松太郎は心に喜んだ、何がなしに気強くなつて来た。渠《かれ》には自信といふものが無い。自信は無くとも伝道は為なければならぬ。それには、可成《なるべく》狭い土地で、そして可成教育のある人の居ない方が可いのだ。宿に帰つて、早速亭主を呼んで訊いて見ると、案の如く天理教はまだ入込んでゐないと言ふ。そこで松太郎は、出来るだけ勿体《もつたい》を付けて自分の計画を打ち明けて見た。
 三国屋《さんごくや》の亭主といふのは、長らく役場の使丁《こづかひ》をした男で、身長《せたけ》が五尺に一寸も足らぬ不具者《かたはもの》、齢は四十を越してゐるが、髯一本あるでなし、額の小皺を見なければ、まだホンの小若者としか見えない。小鼻が両方から吸込まれて、物云ふ声が際立つて鼻にかかる。それが、『然うだなツす……』と、小苦面《こくめい》に首を傾げて聞いてゐたが、松太郎の話が終ると、『何しろハア。今年ア作が良くねえだハンテな。奈何だべなア! 神様さア喜捨《あげ》る銭金《ぜにかね》が有つたら石油《あぶら》でも買ふべえドラ。』
『それがな。』と、松太郎は臆病な眼付をして、
『何もその銭金の費《かか》る事《こつ》で無えのだ。私《わし》は其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《そんな》者《もの》で無え。自分で宿料を払つてゐて、一週間なり十日なり、無料《ただ》で近所の人達に聞かして上げるのだツさ、今のその、有難いお話な。』
 気乗りのしなかつた亭主も、一週間分の前金を出されて初めて納得して、それからは多少言葉使ひも改めた。兎も角も今夜から近所の人を集めて呉れるといふ事に相談が纏つた。日の暮れるのが待遠でもあり、心配でもあつた。集つたのは女小供が合せて十二三人、それに大工の弟子の三太といふ若者、鍛冶屋の重兵衛。松太郎は暑いに拘らず木綿の紋付羽織を着て、杉の葉の蚊遣の煙を渋団扇で追ひ乍ら、教祖島村|美支子《みきこ》の一代記から、一通《ひととほり》の教理まで、重々しい力の無い声に出来るだけ抑揚をつけて諄々《くどくど》と説いたものだ。
『ハハア、そのお人も矢張りお嫁様に行つたのだなツす?』と、乳児《ちのみご》を抱いて来た嬶《かかあ》が訊いた。
『左様さ。』と松太郎は額の汗を手拭で拭いて、『お美支《みき》様が恰度十四歳に成られた時にな、庄屋敷村のお生家《うち》から三昧田村《さんまいだむら》の中山家へ御入輿《おこしいり》[#「御入輿《おこしいり》」はママ]に成つた。有難いお話でな。その時お持になつた色々の調度、箪笥、長持、総てで以て十四|荷《か》――一荷は一担《ひとかつ》ぎで、畢竟《つまり》平《ひら》たく言へば十四担ぎ有つたと申す事ぢや。』『ハハア、有難い事だなツす。』と、意外《とんだ》ところに感心して、『ナントお前様、此地方《ここら》ではハア、今の村長様の嬶様《かかあさま》でせえ、箪笥が唯《たつた》三竿《みさを》――、否《うんにや》全体《みんな》で三竿でその中の一竿はハア、古い長持だつけがなツす。』
 二日目の晩は嬶共は一人も見えず、前夜話半ばに居眠をして行つた小供連と、鍛冶屋の重兵衛、三太が二三人朋輩を伴れて来た。その若者が何彼《なにか》と冷評《ひやか》しかけるのを、眇目《めつかち》の重兵衛が大きい眼玉を剥《む》いて叱り付けた。そして、自分一人夜更まで残つた。
 三日目は、午頃来《ひるごろから》の雨、蚊が皆家の中に籠つた点燈頃《ひともしごろ》に、重兵衛一人、麦煎餅を五銭代許り買つて遣つて来た。大体の話は為《し》て了つたので、此夜は主に重兵衛の方から、種々の問を発した。それが、人間は死ねば奈何《どう》なるとか、天理教を信ずるとお寺詣りが出来ないとか、天理王の命《みこと》も魚籃観音の様に、仮に人間の形に現れて蒼生《ひと》を済度する事があるかとか、概して教理に関する問題を、鹿爪らしい顔をして訊くのであつたが、松太郎の煮切らぬ答弁にも多少得る所があつたかして、
『然うするとな、先生、(と、此時から松太郎を恁《か》う呼ぶ事にした、)俺にも余程《よつぽと》天理教の有難え事が解つて来た様だな。耶蘇は西洋、仏様は天竺、皆《みんな》渡来物《わたりもの》だが、天理様は日本で出来た神様だなツす?』
『左様さ。兎角自国のもんでないと悪いでな。加之《それに》何なのぢや、それ、国常立尊《くにとこたちのみこと》、国狭槌尊《くにのさづちのみこと》、豊斟渟尊《とよくむぬのみこと》、大苫辺尊《おほとまべのみこと》、面足尊《おもだるのみこと》、惶根尊《かしこねのみこと》、伊弉諾尊《いざなぎのみこと》、伊弉冊尊《いざなみのみこと》、それから大日霊尊《おほひるめのみこと》、月夜見尊《つきよみのみこと》、この十柱《とはしら》の神様はな、何れも皆立派な美徳を具へた神様達ぢやが、わが天理王の命と申すは、何と有難い事でな、この十柱の神様の美徳を悉皆《しつかい》具へて御座る。』
『成程。それで何かな、先生、お前様《めえさま》は一人でも此村に信者が出来ると、何処へも行かねえて言つたけが、真箇《ほんと》かな? それ聞かねえと意外《とんだ》ブマ見るだ。』
『真箇ともさ。』
『真箇かな?』
『真箇ともさ。』
『愈々真箇かな?』
『ハテ、奈何して嘘なもんかなア。』と言ひは言つたが、松太郎、余り諄《くど》く訊かれるので何がなしに二の足を踏みたくなつた。
『先生、そンだらハア、』と、重兵衛は突然《いきなり》膝を乗出した。『俺《おら》が成つてやるだ。今夜から。』
『信者にか?』と、鈍い眼が俄かに輝く。
『然うせえ。外に何になるだア!』
『重兵衛さん、そら真箇かな?』と、松太郎は筒抜けた様な驚喜の声を放つた。三日目に信者が出来る、それは渠の全く予想しなかつた所、否、渠は何時、自分の伝道によつて信者が出来るといふ確信を持つた事があるか?
 この鍛冶屋の重兵衛といふのは、針の様な髯を顔一面にモヂヤモヂヤさした、それはそれは逞しい六尺近の大男で、左の眼が潰れた、『眇目鍛冶《めつこかぢ》』と小供等が呼ぶ。齢は今年五十二とやら、以前《もと》十里許り離れた某町に住つてゐたが、鉈、鎌、鉞《まさかり》などの荒道具が得意な代り、此人の鍛《う》つた包丁は刃が脆いといふ評判、結局は其土地を喰詰めて、五年前にこの村に移つた。他所者《たしよもの》といふが第一、加之《それに》、頑固《いつこく》で、片意地で、お世辞一つ言はぬ性《たち》なもんだから、兎角村人に親《したし》みが薄い。重兵衛それが平生《ひごろ》の遺恨で、些《ちよい》とした手紙位は手づから書けるを自慢に、益々頭が高くなつた。規定《きまり》以外の村の費目《いりめ》の割当などに、最先《まつさき》に苦情を言出すのは此人に限る。其処へ以て松太郎が来た。聴いて見ると間違つた理屈でもなし、村寺の酒飲和尚《さけのみおしやう》よりは神々の名も沢山に知つてゐる。天理様の有難味も了解《のみこ》んで了解《のみこ》めぬことが無ささうだ。好矣《よし》、俺《おら》が一番先に信者になつて、村の衆の鼻毛を抜いてやらうと、初めて松太郎の話を聴いた晩に寝床の中で度胸を決めて了つたのだ。尤も、重兵衛の遠縁の親戚が二軒、遙《ずつ》と隔つた処にゐて、既《とう》から天理教に帰依してるといふ事は、予《かね》て手紙で知つてもゐ、一昨年の暮弟の家に不幸のあつた時、その親戚からも人が来て重兵衛も改宗を勧められた事があつた。但し此事は松太郎に対して噎《おくび》にも出さなかつた。
 翌朝、松太郎は早速○○支部に宛てて手紙を出した。四五日経つて返書が来た。その返書は、松太郎が逸早《いちはや》く信者を得た事を祝して其伝道の前途を励まし、この村に寄留したい
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