無論涙を流したが、それは然し、悲しいよりも驚いたから泣いたのだ。他《ひと》から鄭重に悼辞《くやみ》を言はれると、奈何《どう》して俺は左程悲しくないだらうと、それが却つて悲しかつた事もある。其後も矢張その会堂に起臥《おきふし》して、天理教の教理、祭式作法、伝道の心得などを学んだが、根が臆病者で、これといふ役にも立たない代り、悪い事はカラ能《でき》ない性《たち》なのだから、家を潰させ、父を殺し、母を死なしめた、その支部長が、平常《ふだん》可愛がつて使つたものだ。また渠《かれ》は、一体|甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《どんな》人を見ても羨むといふことのない。――羨むには羨んでも、自分も然う成らうといふ奮発心《はげみ》の出ない性《たち》で、従つて、食ふに困るではなし、自分が無財産だといふことも左程苦に病まなかつた。時偶《ときたま》、雑誌の口絵で縹緻《きりよう》の好い芸妓の写真を見たり、地方新聞で富家《かねもち》の若旦那の艶聞などを読んだりした時だけは、妙に恁《か》う危険な――実際危険な、例へば、密々《こつそり》とこの会堂や地面を自分の名儀に書変
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