もめ》の家、入口の戸は鎖されたが、店の煤《すす》び果てた二枚の障子――その処々に、朱筆《しゆふで》で直した痕の見える平仮名の清書が横に逆様に貼られた――に、火光《あかり》が映つてゐる。凡そ、村で人気のあるらしく見えるのは、此家と鍛冶屋と、南端近い役場と、雑貨やら酒石油などを商《あきな》ふ村長の家の四軒に過ぎない。
ガタリ、ガタリと重い輛《くるま》の音が石高路《いしだかみち》に鳴つて、今しも停車場通ひの空荷馬車が一台、北の方から此村に入つた。荷馬車の上には、スツポリと赤毛布を被つた馬子《まご》が胡坐《あぐら》をかいてゐる。と、お由の家の障子に影法師が映つて、張のない声に高く低く節付けた歌が聞える。
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『あしきをはらうて、救けたまへ、天理王のみこと。……この世の地《ぢい》と、天とをかたどりて、夫婦をこしらへきたるでな。これはこの世のはじめだし。……一列すまして甘露台。』
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歌に伴《つ》れて障子の影法師が踊る。妙な手付をして、腰を振り、足を動かす。或は大きく朦乎《ぼんやり》と映り、或は小く分明《はつきり》と映る。
『チヨツ。』と馬子は舌鼓《し
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