たうち》した。『フム、また狐の真似|演《し》てらア!』
『オイ、お申婆《さるばあ》でねえか?』と、直ぐ再《また》大きい声を出した。恰度その時、一人の人影が草履の音を忍ばせて、此家に入らうとしたので。『アイサ。』と、人影は暗い軒下に立留つて、四辺《あたり》を憚る様に答へた。『隣の兄哥《あにい》か? 早かつたなす。』
『早く帰《けえ》つて寝る事《こつ》た。恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんだ》時何処ウ徘徊《うろつ》くだべえ。天理様拝んで赤痢神が取付《とツつ》かねえだら、ハア、何で医者《いしや》薬《くすり》が要るものかよ。』
『何さ、ただ、お由|嬶《かかあ》に一寸用があるだで。』と、声を低めて対手《あひて》を宥《なだ》める様に言ふ。
『フム。』と言つた限《きり》で荷馬車は行過ぎた。
 お申婆《さるばばあ》は、軈《やが》て物静かに戸を開けて、お由の家に姿を隠して了つた。障子の影法師はまだ踊つてゐる。歌もまだ聞えてゐる。
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『よろづよの、せかい一れつみはらせど、むねのはかりたものはない。
『そのはずや、といてきかしたものは
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