じ疫《やまひ》が猖獗《しやうけつ》を極めた時、所轄警察署の当時《とき》の署長が、大英断を以て全村の交通遮断を行つた事がある。お蔭で他村には伝播しなかつたが、住民の約四分の一が一秋の中に死んだ。尤も、年々|何《ど》の村でも一人や二人、五人六人の患者の無い年はないが、巧に隠蔽して置いて※[#「特のへん+尨」、298−下−8]牛児《げんのしようこ》の煎薬でも服ませると、何時しか癒つて、格別伝染もしない。それが、万一医師にかゝつて隔離病舎に収容され、巡査が家毎に怒鳴つて歩くとなると、噂の拡《ひろが》ると共に疫が忽ち村中に流行して来る――と、実際村の人は思つてるので、疫其者よりも巡査の方が忌《きら》はれる。初発患者が発見《みつか》つてから、二月足らずの間《うち》に、隔離病舎は狭隘を告げて、更に一軒山蔭の孤家《ひとつや》を借り上げ、それも満員といふ形勢《すがた》で、総人口四百内外の中、初発以来の患者百二名、死亡者二十五名、全癒者四十一名、現患者三十六名、それに今日の診断の結果で復《また》二名増えた。戸数の七割五分は何《ど》の家も患者を出し、或家では一家を挙げて隔離病舎に入つた。
秋も既《も》う末
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