《ひきつ》つた様な笑ひを浮べて胸に動悸をさせ乍ら近づいた。
 この事あつて以来、松太郎は妙に気がソワついて来て、暇さへあれば、ブラリと懐手《ふところで》をして畑径《はたけみち》を歩く様になつた。わが歩いてる径の彼方から白手拭が見える、と、渠《かれ》は既《も》うホクホク嬉しくてならぬ。知らんか振りをして行くと、娘共は屹度何か調戯《からか》つて行き過ぎる。
『フフヽヽ。』
と恁《か》うマア、自分の威厳を傷けぬ程度で笑つたものだ。そして、家に帰ると例《いつ》になく食慾が進む。
 近所の人々とも親みがついた。渠の仕事は、その人々に手紙の代筆をして呉れる事である。日が暮れると鍛冶屋の店へ遊びに行く。でなければ、お常と約束の場所で逢ふ。お由が何家《どこ》かへ振舞酒にでも招《よ》ばれると、密乎《こつそり》と娘を連れ込む事もある。娘の帰つた後、一人ニヤニヤと可厭《いや》な笑方をして、炉端に胡坐《あぐら》をかいてると、屹度、お由がグデングデンに酔払つて、対手なしに悪言《あくたい》を吐《つ》き乍ら帰つて来る。
『何だ此畜生《こんちきしやう》奴《め》、汝《うぬ》ア何故《なんしや》此家《ここ》に居る? ウン此
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