て見た。
 三国屋《さんごくや》の亭主といふのは、長らく役場の使丁《こづかひ》をした男で、身長《せたけ》が五尺に一寸も足らぬ不具者《かたはもの》、齢は四十を越してゐるが、髯一本あるでなし、額の小皺を見なければ、まだホンの小若者としか見えない。小鼻が両方から吸込まれて、物云ふ声が際立つて鼻にかかる。それが、『然うだなツす……』と、小苦面《こくめい》に首を傾げて聞いてゐたが、松太郎の話が終ると、『何しろハア。今年ア作が良くねえだハンテな。奈何だべなア! 神様さア喜捨《あげ》る銭金《ぜにかね》が有つたら石油《あぶら》でも買ふべえドラ。』
『それがな。』と、松太郎は臆病な眼付をして、
『何もその銭金の費《かか》る事《こつ》で無えのだ。私《わし》は其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《そんな》者《もの》で無え。自分で宿料を払つてゐて、一週間なり十日なり、無料《ただ》で近所の人達に聞かして上げるのだツさ、今のその、有難いお話な。』
 気乗りのしなかつた亭主も、一週間分の前金を出されて初めて納得して、それからは多少言葉使ひも改めた。兎も角も今夜から近所の人を集めて呉れるといふ事に相談が纏つた。日の暮れるのが待遠でもあり、心配でもあつた。集つたのは女小供が合せて十二三人、それに大工の弟子の三太といふ若者、鍛冶屋の重兵衛。松太郎は暑いに拘らず木綿の紋付羽織を着て、杉の葉の蚊遣の煙を渋団扇で追ひ乍ら、教祖島村|美支子《みきこ》の一代記から、一通《ひととほり》の教理まで、重々しい力の無い声に出来るだけ抑揚をつけて諄々《くどくど》と説いたものだ。
『ハハア、そのお人も矢張りお嫁様に行つたのだなツす?』と、乳児《ちのみご》を抱いて来た嬶《かかあ》が訊いた。
『左様さ。』と松太郎は額の汗を手拭で拭いて、『お美支《みき》様が恰度十四歳に成られた時にな、庄屋敷村のお生家《うち》から三昧田村《さんまいだむら》の中山家へ御入輿《おこしいり》[#「御入輿《おこしいり》」はママ]に成つた。有難いお話でな。その時お持になつた色々の調度、箪笥、長持、総てで以て十四|荷《か》――一荷は一担《ひとかつ》ぎで、畢竟《つまり》平《ひら》たく言へば十四担ぎ有つたと申す事ぢや。』『ハハア、有難い事だなツす。』と、意外《とんだ》ところに感心して、『ナントお前様、此地方《ここら》で
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