り、更に、その不健全な状態を昂進《こうしん》すべき色々の手段を採って得意になるとしたら、どうであろう。その結果は言うまでもない。もし又、そうしなければ所謂《いわゆる》「新らしい詩」「新らしい文学」は生れぬものとすれば、そういう詩、そういう文学は、我々――少くとも私のように、健康と長寿とを欲し、自己及自己の生活(人間及人間の生活)を出来るだけ改善しようとしている者に取っては、無暗《むやみ》に強烈な酒、路上ででも交接を遂げたそうな顔をしている女、などと共に、全然不必要なものでなければならぬ。時代の弱点を共有しているという事は[#「時代の弱点を共有しているという事は」に白丸傍点]、如何なる場合の如何なる意味に於ても[#「如何なる場合の如何なる意味に於ても」に白丸傍点]、かつ如何なる人に取っても決して名誉ではない[#「かつ如何なる人に取っても決して名誉ではない」に白丸傍点]。
 性急《せっかち》な心! その性急な心は、或は特に日本人に於て著るしい性癖の一つではあるまいか、と私は考える事もある。古い事を言えば、あの武士道というものも、古来の迷信家の苦行と共に世界中で最も性急な道徳であるとも言えば言える。……日本はその国家組織の根底の堅く、かつ深い点に於て、何《いず》れの国にも優《まさ》っている国である。従って、もしも此処《ここ》に真に国家と個人との関係に就いて真面目《しんめんぼく》に疑惑を懐《いだ》いた人があるとするならば、その人の疑惑|乃至《ないし》反抗は、同じ疑惑を懐いた何れの国の人よりも深く、強く、痛切でなければならぬ筈《はず》である。そして、輓近《ばんきん》一部の日本人によって起されたところの自然主義の運動なるものは、旧道徳、旧思想、旧習慣のすべてに対して反抗を試みたと全く同じ理由に於て、この国家という既定の権力に対しても、その懐疑の鉾尖《ほこさき》を向けねばならぬ性質のものであった。然し我々は、何をその人達から聞き得たであろう。其処《そこ》にもまた、呪《のろ》うべく愍《あわ》れむべき性急な心が頭を擡《もた》げて、深く、強く、痛切なるべき考察を回避し、早く既に、あたかも夫に忠実なる妻、妻に忠実なる夫を笑い、神経の過敏でないところの人を笑うと同じ態度を以て、国家というものに就いて真面目に考えている人を笑うような傾向が、或る種類の青年の間に風《ふう》を成しているような事は
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