為す所を知らざる者に御座候。
[#地から1字上げ](四月廿五日夜)

[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]

 四月二十六日午後一時。
 夜来の春雨猶止まずして一山風静かに、窓前の柳松《りうしよう》翠色《すゐしよく》更に新たなるを覚え、空廊に響く滴水の音、濡羽をふるふ鶯の声に和して、艶だちたる幽奥の姿誠に心地よく候。この雨収まらば、杜陵は万色一時に発《ひら》く黄金幻境に変ず可くと被存候《ぞんぜられさふらふ》。
 今日は十時頃に朝餐を了へて、(小生の経験によれば朝寝を嫌ひな人に、話せる男は少なき者に御座候呵々)二時間許り愛国詩人キヨルネルが事を繙読《ほんどく》して痛くも心を躍らせ申候。張り詰めたる胸の動悸今猶静め兼ね候。抑々《そもそも》人類の「愛」は、万有の生命は同一なりてふ根本思想の直覚的意識にして、全能なる神威の尤《もつと》も円満なる表現とも申す可く、人生の諸有《あらゆる》経緯の根底に於て終始永劫普遍の心的基礎に有之候《これありさうら》へば、国家若しくは民族に対する愛も、世の道学先生の言ふが如き没理想的消極的理窟的の者には無之《これなく》、実に同一生命の発達に於ける親和協同の血族的因縁に始まり、最後の大調和の理想に対する精進の観念に終る所の、人間凡通の本然性情に外ならず候。熱情詩人、我がキヨルネルの如きは、この沈雄なる愛国の精神を体現して、其光輝|長《とこしな》へに有情の人を照らすの偉人と被存候。
 時は千八百十三年、モスコーの一敗辛くも巴里《パリ》に遁れ帰りたる大奈翁《だいなをう》に対し、普帝が自由と光栄の義戦を起すべく、三月十七日、大詔一下して軍を国内に徴するや、我がキヨルネルは即日[#「即日」に丸傍点]筆を擲《なげう》つて旗鼓の間に愛国の歩調を合し候ひき。彼は祖国の使命を以て絶大なる神権の告勅《こくちよく》を実現するにありとしたり。されば彼に於ては祖国の理想と自由の為めに、尊厳なる健闘の人たるは実に其生存の最高の意義、信念なりき。彼|乃《すなは》ち絶叫して曰く、人生に於ける最大の幸福の星は今や我生命の上に輝きたり。あゝ祖国の自由のために努力せむには如何なる犠牲と雖《いへ》ども豈《あに》尊としとすべけむや。力は限りなく我胸に湧きぬ。さらば起たむ、この力ある身と肉を陣頭の戦渦に曝《さら》さむ、可ならずや、と。斯《かく》の如くして彼は、帝室劇詩人の栄職を捨て、父
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング