なき意外の好天気と相成、明け放したる窓の晴心地に、壁上のベクリンが画幀《ぐわてい》も常よりはいと鮮やかに見られ候。只今三時間|許《ばか》り、かねて小生の持論たる象徴芸術の立場より現代の思想、文芸に対する挑戦の論策を編まむ下心にて、批評|旁々《かたがた》、著者嘲風先生より送られたる「復活の曙光」繙読《ほんどく》致候。然しこれは、到底この短き便りに述べ尽し難き事に候へば、今日は品を代へて一寸、盛中校友会雑誌[#「盛中校友会雑誌」に傍点]のために聊《いささ》か卑見申進むべく候。或は之れ、なつかしき杜陵の母校の旧恩に酬《むく》ゆる一端かとも被存候《ぞんぜられさふらふ》。
 此雑誌も既に第六号を刊行するに至り候事、嬉しき事に候へど、年齢に伴なふ思想の発達著るしからざるに徴すれば、精神的意義に乏しき武断一偏の校風が今猶勢力を有する結果なるべくと、婆心また多少の嗟嘆なき不能候。嘗《かつ》て在校時代には小生もこれが編輯の任に当りたる事有之候事とて、読過の際は充分の注意を払ひたる積りに御座候。
 論文欄は毎号紙数の大多部を占むると共に、又常に比較的他欄より幼稚なる傾向有之候が、本号も亦其例外に立ち難く見受けられ候。然れども巻頭の中館松生君[#「中館松生君」に丸傍点]が私徳論[#「私徳論」に丸傍点]の如きは、其文飛動を欠き精緻を欠くと雖《いへ》ども、温健の風、着実の見《ふう》、優に彼の気取屋党に一頭地を抜く者と被存候。斯《か》くの如き思想の若し一般青年間に流布するあらば、健全なる校風の勃興や疑ふ可からず候。同君の論旨が質朴謙遜に述べられてある丈《だけ》、小生も亦其保守的傾向ある所謂《いはゆる》私徳に対して仰々しく倫理的評価など下すまじく候。
 此文を読みて小生は、論者の実兄にして吾等には先輩なる鈴木卓苗氏を思出だし候ひき。荒川君[#「荒川君」に丸傍点]の史論[#「史論」に丸傍点]は、何等事相発展の裡面に哲理的批判を下す文明的史眼の萌芽なきを以て、主観的なる吾等には興味少なく候へ共、其考証精密なる学者風の態度は、客気にはやる等輩中の一異色に候。小生は、単に過去の事蹟の記録統計たるに留まらば、歴史てふ興味ある問題も人生に対して亳《がう》も存在の意義を有せざる者なる事に就きて、深沈なる同君の考慮を煩はしたく存候。吾人の標準[#「吾人の標準」に丸傍点]とか題したる某君の国家主義論は、推断|陋劣
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