分とは何時まで經つても關係が無ささうに思はれる。しまひには、的もなくほつつき※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて疲れた足が、遣場の無い心を運んで、再び家へ歸つて來る事になる。――まるで、自分で自分の生命を持餘してゐるやうなものだ。
何か面白い事は無いか!
それは凡ての人間の心に流れてゐる深い浪漫主義の嘆聲だ。――さう言へば、さうに違ひない。然しさう思つたからとて、我々が自分の生命の中に見出した空虚の感が、少しでも減ずる譯ではない。私はもう、益の無い自己の解剖と批評にはつくづくと飽きて了つた。それだけ私の考へは、實際上の問題に頭を下げて了つた。――若しも言ふならば、何時しか私は、自分自身の問題を何處までも机の上で取扱つて行かうとする時代の傾向――知識ある人達の歩いてゐる道から、一人離れて了つた。
『何か面白い事は無いか。』さう言つて街々を的もなく探し※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る代りに、私はこれから、『何うしたら面白くなるだらう。』といふ事を、眞面目に考へて見たいと思ふ。
○
何時だつたか忘れた。詩を作つてゐる友人の一人が來て、こんな事を言つた
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