ろをぢつと眺めてゐた△△氏が、感に堪へたやうな聲でかう云ひ出した。期せずして同じ樣な笑聲が皆の口から出た。
『惡少年のかたまりか………』
 さう誰かゞ云つた。
『惡少年』
 さう誰かゞ應じてまた面白そうに笑ひ出した。

     ○

 これは『創作』といふ短歌專門の雜誌で去月十六日誌友小集を開いた時の記事の一節で同誌八月號に載つてゐるものである。此處に所謂『惡少年』の何を意味するかは嘗て本紙に出た『滿都の惡少年』といふ記事を讀んだ人には直解るに違ひない。人の話に聞くと佛蘭西十九世紀末の頽唐派《デカダンは》の詩人共は批評家から彼等はデカダンだと言はれた時、そいつは面白いといふので早速取つて以て自分等の一派の詩風の代名詞にしたとやら、若しそれ等の肉慾の亡者、酒精中毒者の一團が最も尊敬すべき近代的詩人の標本であるならば、この惡少年だと言はれて喜んでゐる日本の若い歌よみ達も大層偉い人達なのかも知れない。
 所が同じ雜誌を讀んでゐて記者は驚いて了つた、六十八、九頁に『黄と赤と青の影畫』と題して三十四首の短歌が載つてゐる、作者は近藤元[#「近藤元」に丸傍点]
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潮なりの滿ち
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