載つてゐた。
 私もその家に下宿する事になつた。尤も明間《あきま》は無かつたから、停車場に迎へに来て呉れたも一人の方の友人――目形君――と同室する事にしたのだ。


 宿の内儀《かみさん》は既《も》う四十位の、亡夫は道庁で可也《かなり》な役を勤めた人といふだけに、品のある、気の確乎《しつかり》した、言葉に西国の訛りのある人であつた。娘が二人、妹の方はまだ十三で、背のヒヨロ高い、愛嬌のない寂しい顔をしてゐる癖に、思ふ事は何でも言ふといつた様な淡白《きさく》な質《たち》で、時々間違つた事を喋つては衆《みんな》に笑はれて、ケロリとしてゐる児であつた。
 姉は真佐子と言つた。その年の春、さる外国人の建てゝゐる女学校を卒業したとかで、体はまだ充分発育してゐない様に見えた。妹とは肖《に》ても肖つかぬ丸顔の、色の白い、何処と言つて美しい点《ところ》はないが、少し藪睨みの気味なのと片笑靨《かたゑくぼ》のあるのとに人好きのする表情があつた。女学校出とは思はれぬ様な温雅《しとや》かな娘で、絶え/″\な声を出して讃美歌を歌つてゐる事などがあつた。学校では大分宗教的な教育を享けたらしい。母親は、妹の方をば時々
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