いたにかかわらず、ともにその「自然主義」という名を最初からあまりにオオソライズして考えていたために、この矛盾を根柢まで深く解剖《かいぼう》し、検覈《けんかく》することを、そうしてそれが彼らの確執《かくしつ》を最も早く解決するものなることを忘れていたのである。かくてこの「主義」はすでに五年の間|間断《かんだん》なき論争を続けられてきたにかかわらず、今日なおその最も一般的なる定義をさえ与えられずにいるのみならず、事実においてすでに純粋自然主義がその理論上の最後を告げている[#「純粋自然主義がその理論上の最後を告げている」に白三角傍点]にかかわらず、同じ名の下に繰返さるるまったくべつな主張と、それに対する無用の反駁《はんばく》とが、その熱心を失った状態をもっていつまでも継続されている。そうしてすべてこれらの混乱の渦中《かちゅう》にあって、今や我々の多くはその心内において自己分裂のいたましき悲劇に際会しているのである。思想の中心を失っているのである。
 自己主張的傾向が、数年前我々がその新しき思索的生活を始めた当初からして、一方それと矛盾する科学的、運命論的、自己否定的傾向(純粋自然主義)と結
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