時代閉塞の現状
(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)
石川啄木

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)思索《しさく》的生活の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)比較的|明瞭《めいりょう》に

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「純粋自然主義がその理論上の最後を告げている」に白三角傍点]
−−

     一

 数日前本欄(東京朝日新聞の文芸欄)に出た「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住氏の論文は、今日における我々日本の青年の思索《しさく》的生活の半面――閑却《かんきゃく》されている半面を比較的|明瞭《めいりょう》に指摘した点において、注意に値《あたい》するものであった。けだし我々がいちがいに自然主義という名の下に呼んできたところの思潮には、最初からしていくたの矛盾《むじゅん》が雑然として混在していたにかかわらず、今日までまだ何らの厳密なる検覈《けんかく》がそれに対して加えられずにいるのである。彼らの両方――いわゆる自然主義者もまたいわゆる非自然主義者も、早くからこの矛盾をある程度までは感知して
次へ
全23ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング