に満足――すくなくともそれに抗弁する理由を知らずにいるごとく、我々青年もまた同じ理由によって、すべて国家についての問題においては(それが今日の問題であろうと、我々自身の時代たる明日の問題であろうと)、まったく父兄の手に一任しているのである。これ我々自身の希望、もしくは便宜《べんぎ》によるか、父兄の希望、便宜によるか、あるいはまた両者のともに意識せざる他の原因によるかはべつとして、ともかくも以上の状態は事実である。国家ちょう問題が我々の脳裡《のうり》に入ってくるのは、ただそれが我々の個人的利害に関係する時だけである。そうしてそれが過ぎてしまえば、ふたたび他人同志になるのである。

     二

 むろん思想上の事は、かならずしも特殊の接触、特殊の機会によってのみ発生するものではない。我々青年は誰しもそのある時期において徴兵検査のために非常な危惧《きぐ》を感じている。またすべての青年の権利たる教育がその一部分――富有《ふゆう》なる父兄をもった一部分だけの特権となり、さらにそれが無法なる試験制度のためにさらにまた約三分の一だけに限られている事実や、国民の最大多数の食事を制限している高率の租税《そぜい》の費途《ひと》なども目撃している。およそこれらのごく普通な現象も、我々をしてかの強権に対する自由|討究《とうきゅう》を始めしむる動機たる性質はもっているに違いない。しかり、むしろ本来においては我々はすでにすでにその自由討究を始めているべきはずなのである。にもかかわらず実際においては、幸か不幸か我々の理解はまだそこまで進んでいない。そうしてそこには日本人特有のある論理がつねに働いている。
 しかも今日我々が父兄に対して注意せねばならぬ点がそこに存するのである。けだしその論理は我々の父兄の手にある間はその国家を保護し、発達さする最重要の武器なるにかかわらず、一度我々青年の手に移されるに及んで、まったく何人も予期しなかった結論に到達しているのである。「国家は強大でなければならぬ。我々はそれを阻害《そがい》すべき何らの理由ももっていない。ただし我々だけはそれにお手伝いするのはごめんだ!」これじつに今日比較的教養あるほとんどすべての青年が国家と他人たる境遇においてもちうる愛国心の全体ではないか。そうしてこの結論は、特に実業界などに志す一部の青年の間には、さらにいっそう明晰《めいせき》
前へ 次へ
全12ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング