合していたことは事実である。そうしてこれはしばしば後者の一つの属性のごとく取扱われてきたにかかわらず、近来(純粋自然主義が彼の観照《かんしょう》論において実人生に対する態度を一決して以来)の傾向は、ようやく両者の間の溝渠《こうきょ》のついに越ゆべからざるを示している。この意味において、魚住氏の指摘はよくその時を得たものというべきである。しかし我々は、それとともにある重大なる誤謬《ごびゅう》が彼の論文に含まれているのを看過することができない。それは、論者がその指摘を一の議論として発表するために――「自己主張の思想としての自然主義[#「自然主義」に白三角傍点]」を説くために、我々に向って一の虚偽《きょぎ》を強要していることである。相矛盾せる両傾向の不思議なる五年間の共棲《きょうせい》を我々に理解させるために、そこに論者が自分勝手に一つの動機を捏造《ねつぞう》していることである。すなわち、その共棲がまったく両者共通の怨敵《おんてき》たるオオソリテイ――国家というものに対抗するために政略的に行われた結婚であるとしていることである。
それが明白なる誤謬、むしろ明白なる虚偽であることは、ここに詳《くわ》しく述べるまでもない。我々日本の青年はいまだかつてかの強権に対して何らの確執をも醸《かも》したことがないのである。したがって国家が我々にとって怨敵となるべき機会もいまだかつてなかったのである。そうしてここに我々が論者の不注意に対して是正《ぜせい》を試みるのは、けだし、今日の我々にとって一つの新しい悲しみでなければならぬ。なぜなれば、それはじつに、我々自身が現在においてもっている理解のなおきわめて不徹底の状態にあること、および我々の今日および今日までの境遇がかの強権を敵としうる境遇の不幸よりもさらにいっそう不幸なものであることをみずから承認するゆえんであるからである。
今日我々のうち誰でもまず心を鎮《しず》めて、かの強権と我々自身との関係を考えてみるならば、かならずそこに予想外に大きい疎隔《そかく》(不和ではない)の横たわっていることを発見して驚くに違いない。じつにかの日本のすべての女子が、明治新社会の形成をまったく男子の手に委《ゆだ》ねた結果として、過去四十年の間一に男子の奴隷《どれい》として規定、訓練され(法規の上にも、教育の上にも、はたまた実際の家庭の上にも)、しかもそれ
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