なる手の指環《ゆびわ》を忘るること能《あた》はず。
ほつれ毛をかき上ぐるとき、
また、蝋燭の心《しん》を截《き》るとき、
そは幾度かわが眼の前に光りたり。
しかして、そは実にNの贈れる約婚のしるしなりき。
されど、かの夜のわれらの議論に於いては、
かの女《ぢよ》は初めよりわが味方なりき。
墓碑銘
われは常にかれを尊敬せりき、
しかして今も猶《なほ》尊敬す――
かの郊外の墓地の栗《くり》の木の下に
かれを葬《はうむ》りて、すでにふた月を経たれど。
実《げ》に、われらの会合の席に彼を見ずなりてより、
すでにふた月は過ぎ去りたり。
かれは議論家にてはなかりしかど、
なくてかなはぬ一人なりしが。
或る時、彼の語りけるは、
「同志よ、われの無言をとがむることなかれ。
われは議論すること能《あた》はず、
されど、我には何時《いつ》にても起《た》つことを得る準備あり。」
「彼の眼は常に論者の怯懦《けふだ》を叱責《しつせき》す。」
同志の一人はかくかれを評しき。
然《しか》り、われもまた度度《たびたび》しかく感じたりき。
しかして、今や再びその眼より正義の叱責をうくることなし。
かれは労働者――一個の機械職工なりき。
かれは常に熱心に、且《か》つ快活に働き、
暇《ひま》あれば同志と語り、またよく読書したり。
かれは煙草《たばこ》も酒も用ゐざりき。
かれの真摯《しんし》にして不屈、且つ思慮深き性格は、
かのジュラの山地のバクウニンが友を忍ばしめたり。
かれは烈《はげ》しき熱に冒《をか》されて、病の床に横《よこた》はりつつ、
なほよく死にいたるまで譫話《うはごと》を口にせざりき。
「今日は五月一日なり、われらの日なり。」
これ、かれのわれに遺《のこ》したる最後の言葉なり。
この日の朝《あした》、われはかれの病を見舞ひ、
その日の夕《ゆふべ》、かれは遂に永き眠りに入れり。
ああ、かの広き額《ひたひ》と、鉄槌《てつつゐ》のごとき腕《かひな》と、
しかして、また、かの生を恐れざりしごとく
死を恐れざりし、常に直視する眼と、
眼《まなこ》つぶれば今も猶わが前にあり。
彼の遺骸《ゐがい》は、一個の唯物論《ゆゐぶつろん》者として
かの栗の木の下に葬られたり。
われら同志の撰びたる墓碑銘《ぼひめい》は左の如し、
「われは何時《いつ》にても起つことを得る準備あり。」
前へ
次へ
全16ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング