けるを、またその議論の激しきを。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
'V NAROD !'と叫び出づるものなし。
ああ、蝋燭《らふそく》はすでに三度も取りかへられ、
飲料《のみもの》の茶碗《ちやわん》には小さき羽虫の死骸《しがい》浮び、
若き婦人の熱心に変りはなけれど、
その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。
されど、なほ、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
'V NAROD ! 'と叫び出づるものなし。
ココアのひと匙《さじ》
われは知る、テロリストの
かなしき心を――
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪《うば》はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵に擲《な》げつくる心を――
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有《も》つかなしみなり。
はてしなき議論の後の
冷《さ》めたるココアのひと匙《さじ》を啜《すす》りて、
そのうすにがき舌触《したざは》りに
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
書斎の午後
われはこの国の女を好まず。
読みさしの舶来の本の
手ざはりあらき紙の上に、
あやまちて零《こぼ》したる葡萄酒《ぶだうしゆ》の
なかなかに浸《し》みてゆかぬかなしみ。
われはこの国の女を好まず。
激論
われはかの夜の激論を忘るること能《あた》はず、
新らしき社会に於《お》ける「権力」の処置に就《つ》きて、
はしなくも、同志の一人なる若き経済学者Nと
我との間に惹《ひ》き起されたる激論を、
かの五時間に亙《わた》れる激論を。
「君の言ふ所は徹頭徹尾煽動家《せんどうか》の言なり。」
かれは遂《つひ》にかく言ひ放ちき。
その声はさながら咆《ほ》ゆるごとくなりき。
若《も》しその間に卓子《テエブル》のなかりせば、
かれの手は恐らくわが頭《かうべ》を撃ちたるならむ。
われはその浅黒き、大いなる顔の
男らしき怒りに漲《みなぎ》れるを見たり。
五月の夜はすでに一時なりき。
或《あ》る一人の立ちて窓を明けたるとき、
Nとわれとの間なる蝋燭《らふそく》の火は幾度か揺れたり。
病みあがりの、しかして快く熱したるわが頬《ほほ》に、
雨をふくめる夜風の爽《さはや》かなりしかな。
さてわれは、また、かの夜の、
われらの会合に常にただ一人の婦人なる
Kのしなやか
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