古びたる鞄をあけて

わが友は、古びたる鞄《かばん》をあけて、
ほの暗き蝋燭《らふそく》の火影《ほかげ》の散らぼへる床に、
いろいろの本を取り出だしたり。
そは皆この国にて禁じられたるものなりき。
やがて、わが友は一葉の写真を探しあてて、
「これなり」とわが手に置くや、
静かにまた窓に凭《よ》りて口笛を吹き出したり。
そは美くしとにもあらぬ若き女の写真なりき。


  げに、かの場末の

げに、かの場末の縁日の夜の
活動写真の小屋の中に、
青臭《くさ》きアセチレン瓦斯《ガス》の漂《ただよ》へる中に、
鋭くも響きわたりし
秋の夜の呼子の笛はかなしかりしかな。
ひょろろろと鳴りて消ゆれば、
あたり忽《たちま》ち暗くなりて、
薄青きいたづら小僧の映画ぞわが眼にはうつりたる。
やがて、また、ひょろろと鳴れば、
声嗄《か》れし説明者こそ、
西洋の幽霊《いうれい》の如《ごと》き手つきして、
くどくどと何事を語り出でけれ。
我はただ涙ぐまれき。

されど、そは、三年《みとせ》も前の記憶なり。
はてしなき議論の後の疲れたる心を抱き、
同志の中の誰彼《たれかれ》の心弱さを憎みつつ、
ただひとり、雨の夜の町を帰り来れば、
ゆくりなく、かの呼子の笛が思ひ出されたり。
――ひょろろろと、
また、ひょろろろと――

我は、ふと、涙ぐまれぬ。
げに、げに、わが心の餓《う》ゑて空《むな》しきこと、
今も猶《なほ》昔のごとし。


  わが友は、今日も

我が友は、今日もまた、
マルクスの「資本論《キヤプタル》」の
難解になやみつつあるならむ。

わが身のまはりには、
黄色なる小さき花片《はなびら》が、ほろほろと、
何故《なぜ》とはなけれど、
ほろほろと散るごときけはひあり。

もう三十にもなるといふ、
身の丈《たけ》三尺ばかりなる女の、
赤き扇《あふぎ》をかざして踊るを、
見世物《みせもの》にて見たることあり。
あれはいつのことなりけむ。

それはさうと、あの女は――
ただ一度我等の会合に出て
それきり来なくなりし――
あの女は、
今はどうしてゐるらむ。

明るき午後のものとなき静心《しづごごろ》なさ。


  家

今朝も、ふと、目のさめしとき、
わが家と呼ぶべき家の欲しくなりて、
顔洗ふ間もそのことをそこはかとなく思ひしが、
つとめ先より一日の仕事を了《を》へて帰り来て、
夕餉《ゆふげ》の後
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