少の所有地《もちち》のあつたのを幸ひ、此村に土着する事に決めたのださうな。私の母は高田家の総領娘であつた。
 尤も、高田家の方が私の家よりも、少し格式が高かつたさうである。寝物語に色々な事を聞かされたものだが、時代が違ふので、私にはよく理解《のみこ》めなかつた。高田家の三代許り以前《まへ》の人が、藩でも有名な目附役で、何とかの際に非常な功績《てがら》をしたと言ふ事と、私の祖父《おぢい》さんが鉄砲の名人であつたと言ふ事だけは記憶《おぼ》えてゐる。其祖父さんが殿様から貰つたといふ、今で謂つたら感状といつた様な巻物が、立派な桐の箱に入つて、刀箱と一緒に、奥座敷の押入に蔵つてあつた。
 四人の同胞《きやうだい》、総領の母だけが女で、残余《あと》は皆男。長男も次男も、不幸《ふしあはせ》な事には皆二十五六で早世して、末ツ子の源作叔父が家督を継いだ。長男の嫁には私の父の妹が行つたのださうだが、其頃は盛岡の再縁先で五人の子供の母親になつてゐた。次男は体の弱い人だつたさうである。其嫁は隣村の神官の家から来たが、結婚して二年とも経たぬに、唖の女児《をんなのこ》を遺して、盲腸炎で死んだ。其時、嫁のお喜勢さん
前へ 次へ
全24ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング