中に寝てゐた。お和歌さんは「呀《あ》ツ。」と言つて顔をかくした様に記憶《おぼ》えてゐる。私は目を円《まろ》くして、梯子口から顔を出してると、叔父は平気で笑ひながら、「誰にも言ふな。」と言つて、お銭《あし》を呉れた。其|翌日《あくるひ》、私が一人裏伝ひの畑の中の路を歩いてると、お和歌さんが息をきらして追駈《おつか》けて来て、五本だつたか十本だつたか、黒羊※[#「羔/((美−大)/人)」、180−下−15]をどつさり呉れて行つた事がある。其以後《それから》といふもの、私はお和歌さんが好で、母には内密《ないしよ》で一寸々々《ちよいちよい》、東の店に痰切飴《たんきり》や氷糸糖《アルヘイ》を買ひに行つた。眇目の老人さへゐなければ、お和歌さんは何時でも負けてくれたものだ。
残余《あと》の二軒は、叔父の家《うち》と私の家。
高田家と工藤家――私の家――とは、小身ではあつたが、南部初代の殿様が甲斐の国から三戸《さんのへ》の城に移つた、其時からの家臣なさうで、随分古くから縁籍の関係があつた。嫁婿の遣取《やりとり》も二度や三度でなかつたと言ふ。盛岡の城下を引掃《ひきはら》ふ時も、両家で相談した上で、多
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