二

 村に士族が三軒あつた。何れも旧南部藩の武家《さむらひ》、廃藩置県の大変遷、六十余州を一度に洗つた浮世の波のどさくさに、相前後して盛岡の城下から、この農村《ひやくしやうむら》に逼塞《ひつそく》したのだ。
 其一軒は、東《ひがし》といつて、眇目《めつかち》の老人の頑固《つむじまがり》が村人の気受に合はなかつた。剰《おまけ》に、働盛りの若主人が、十年近く労症を煩《わづら》つた末に死んで了つたので、多くもなかつた所有地《もちち》も大方人手に渡り、仕方なしに、村の小児《こども》相手の駄菓子店を開いたといふ仕末で、もう其頃――私の稚かつた頃――は、誰も士族扱ひをしなかつた。私は、其店に買ひに行く事を、堅く母から禁ぜられてゐたものである。其|理由《わけ》は、かの眇目の老人が常に私の家に対して敵意を有つてるとか言ふので。
 東の家に美しい年頃の娘があつた。お和歌さんと言つた様である。私が六歳《むつつ》位の時、愛宕《あたご》神社の祭礼《おまつり》だつたか、盂蘭盆《うらぼん》だつたか、何しろ仕事を休む日であつた。何気なしに裏の小屋の二階に上つて行くと、其お和歌さんと源作叔父が、藁の
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