うべ》といふものは恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんな》ぢやなからうかと思つたり、紅い口が今にも耳の根まで裂けて行きさうに見えたりして、謂《い》ひ知れぬ悪寒《さむさ》に捉はれる事が間々あつた。
 古い、暗い、大きい家、障子も襖《からかみ》も破れ放題、壁の落ちた所には、漆黒《まつくろ》に煤けた新聞紙を貼つてあつた。板敷にも畳にも、足触りの悪い程|土埃《ほこり》がたまつてゐた。それも其筈で、此家の小児等は、近所の百姓の子供と一緒に跣足《はだし》で戸外《そと》を歩く事を、何とも思つてゐなかつたのだ。納戸の次の、八畳許りの室が寝室《ねま》になつてゐたが、夜昼蒲団を布いた儘、雨戸の開く事がない。妙な臭気が家中に漂うてゐた。一口に謂へば、叔父の家は夜と黄昏との家であつた。陰気な、不潔な、土埃の臭ひと黴の臭ひの充満《みちみち》たる家であつた。笑声と噪《はしや》いだ声の絶えて聞こえぬ、湿つた、唖の様な家であつた。
 その唖の様な家に、唖の児の時々発する奇声と、けたたましい小児等の泣声と、それを口汚なく罵る叔母の声とが、折々響いた。小児は五人あつた。唖
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