《つぶ》す事もあつた。気が向くと、年長《としかさ》なのを率《つ》れて、山狩、川狩。自分で梳《す》いた小鳥網から叉手網《さであみ》投網、河鰺網《かじかあみ》でも押板でも、其道の道具は皆揃つてゐたもの。鮎の時節が来れば、日に四十から五十位まで掛ける。三十以上掛ける様になれば名人なさうである。それが、皆、商売にやるのではなくて、酒の肴を獲《え》る為なのだ。
妙なところに鋭い才があつて、勝負事には何にでも得意な人であつた。それに、野良仕事一つ為た事が無いけれど、三日に一度の喧嘩に、鍛えに鍛えた骨節が強くて、相撲、力試し、何でも一人前やる。就中《なかんづく》、将棋と腕相撲が公然《おもてむき》の自慢で、実際、誰にも負けなかつた。博奕は近郷での大関株、土地《ところ》よりも隣村に乾分《こぶん》が多かつたさうな。
不得手なのは攀木《きのぼり》に駈競《かけつくら》。あれだけは若者共に敵《かな》はないと言つてゐた。脚が短かい上に、肥つて、腹が出てゐる所為《せゐ》なのである。
五間幅の往還、くわツくわと照る夏の日に、短く刈込んだ頭に帽子も冠らず、腹を前に突出して、懐手《ふところで》で暢然《ゆつたり》と歩く。前下りに結んだ三尺がだらしなく、衣服《きもの》の袵《まへ》が披《はだか》つて、毛深い素脛《からツつね》が遠慮もなく現はれる。戸口に凭れてゐる娘共には勿論の事、逢ふ人毎に此方から言葉をかける。茫然《ぼんやり》立つてゐる小児でもあれば、背後《うしろ》から窃《そつ》と行つて、目隠しをしたり、唐突《いきなり》抱上げて喫驚《びつくり》さしたりして、快ささうに笑つて行く。千日紅の花でも後手に持つた、腰曲りの老媼《ばばあ》でも来ると、
『婆さんは今日もお寺詣りか?』
『あいさ。暑い事《こつ》たなす。』
『暑いとも、暑いとも。恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんな》日にお前《めえ》みたいな垢臭い婆さんが行くと、如来様も昼寝が出来ねえで五月蠅《うるさ》がるだあ。』
『エツヘヘ。源作さあ何日《いつ》でも気楽で可《え》えでヤなあ。』
『俺讃めるな婆さん一人だ。死んだら極楽さ伴《つ》れてつてやるべえ。』と言つた調子。
酔つた時でも別段の変りはない。死んだ祖父に当る人によく似たと、母が時々言つたが、底無しの漏斗《じやうご》、一升二升では呼気《いき》が少し臭
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