さきの煙の味のなつかしさ、
はかなくもまたそのことのひょっと心に浮び来る――
はかなくもまたかなしくも。
場所は、鉄道に遠からぬ、
心おきなき故郷の村のはづれに選びてむ。
西洋風の木造のさっぱりとしたひと構へ、
高からずとも、さてはまた何の飾りのなくとても、
広き階段とバルコンと明るき書斎……
げにさなり、すわり心地のよき椅子《いす》も。
この幾年に幾度も思ひしはこの家のこと、
思ひし毎《ごと》に少しづつ変へし間取《まど》りのさまなどを
心のうちに描きつつ、
ラムプの笠《かさ》の真白きにそれとなく眼をあつむれば、
その家に住むたのしさのまざまざ見ゆる心地して、
泣く児に添乳《そへぢ》する妻のひと間の隅のあちら向き、
そを幸ひと口もとにはかなき笑《ゑ》みものぼり来る。
さて、その庭は広くして、草の繁《しげ》るにまかせてむ。
夏ともなれば、夏の雨、おのがじしなる草の葉に
音立てて降るこころよさ。
またその隅にひともとの大樹を植ゑて、
白塗の木の腰掛を根に置かむ――
雨降らぬ日は其処《そこ》に出て、
かの煙濃く、かをりよき埃及《エジプト》煙草ふかしつつ、
四五日おきに送り来る丸善よりの
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