「日報」と運命を共にして來て、(初めは唯一人で外交も編輯も校正も、時としては發送までやつたものださうだが、)毎日々々土地の生きた事件を取扱つて來た人だけ、其説には充分の根據があつた。主筆は、北海道の都府、殊にも此釧路の發達の急激な事に非常の興味をもつて居て、今でこそ人口も一萬五千に滿たぬけれど、半年程前に此處と函館とを繋いだ北海道鐵道の全通して以來、貨物の集散高、人口の増加率、皆月毎に上つて來て居るし、殊に中央の政界までも騷がして居る大規模の築港計畫も、一兩年中には着手される事であらうし、池田驛から分岐する網走《あばしり》線鐵道の竣工した曉には釧路、十勝、北見三國の呑吐港となり、單に地理的事情から許りでなく、全道に及ぼす經濟的勢力の上でも釧路が「東海岸の小樽」となる日が、決して遠い事で無いと信じて居た。されば、此釧路を何日まで「日報」一つで獨占しようとするのは無理な事で、其爲には、却つて「毎日」の如き無勢力な新聞を、生さず殺さずして置く方が、「日報」の爲に恐るべき敵の崛起《くつき》するのを妨げる最良の手段であると云ふのが此人の對「毎日」觀であつた。
にも不拘《かゝわらず》、此三人の人は、怎したものか、何か事のある毎に、「毎日」の行動に就いて少からず神經過敏な態度を見せて、或時の如きは、須藤氏が主として關係して居る漁業團體に、内訌が起つたとか起りさうだとか云ふ事を、「毎日」子が何かの序に仄めかした時、大川氏と須藤氏が平生《いつ》になく朝早く社にやつて來て、主筆と三人應接室で半時間も密議してから、大川社長が自分で筆を執つて、「毎日」と或關係があると云はれて居る私立銀行の内幕を剔《えぐ》つた記事を書いた。
が、私が追々と土地の事情が解つて來るに隨《つ》れて、此神經過敏の理由も讀めて來た。ト云ふのは、大川氏が土地の人望を一身に背負つて立つた人で、現に町民に推《お》されて、(或は推《お》させて、)道會議員にもなつて居るけれど、町が發達し膨脹すると共に種々な分子が入交《いりこ》んで來て、何といふ理由なしに新しい人を欲する希望が、町民の頭腦に起つて來た。「毎日」の西山社長は、正に此新潮に棹《さをさ》して彼岸に達しようと焦慮《あせ》つて居る人なので、彼自身は、其半生に種々な黒い影を伴つて居る所から、殆ど町民に信じられて居ぬけれど、長い間大川氏と「日報」の爲に少からぬ犧牲を拂はされて來て、何といふ理由なしに新しい人を望む樣になつた一部の勢力家、――それ自身も多少の野心をもたぬでもない人々が、表面には出さぬけれど自然西山を援ける樣になつて來た。私が大分苦心して集めた材料から、念の爲に作つて見た勢力統計によると、前の代議士選擧に八分を占めて居た大川氏の勢力は、近く二三ケ月[#「月」は底本では脱落]後に來るべき改選期に於て、怎《どう》しても六分、――未知數を味方に加算して、六分五厘位迄に墮《お》ちて居た。大川氏は前には其得點全部を期日間際になつて或る政友に譲つたが、今度は自身で立つ積りで居る。最も、殘餘の反對者と云つても、これと云ふ統率者がある譯で無いから、金次第で怎《どう》でもなるのだが。
で、「毎日」は、社それ自身の信用が無く、隨つて社員一個々々に於ても、譬へば料理屋へ行つて勘定を月末まで待たせるにしても、餘程巧みに談判しなければ拒《こば》まれると云つた調子で、紙數も唯八百しか出て居なかつたが、それでも能《よ》く續けて行く。「毎日」が先月紙店の拂ひが出來なかつたので、今日から其日々々に一連宛買ふさうだとか、職工が一日《ついたち》になつても給料を拂はれぬので、活字函《ケース》を轉覆《ひつくりかへ》して家へ歸つたさうだとか云ふ噂が、一度や二度でなく私等の耳に入るけれど、それでも一日として新聞を休んだ事がない。唯八百の讀者では、いくら田舍新聞でも維持して行けるものでないのに、不思議な事には、職工の數だつて敢て「日報」より少い事もなく、記者も五人居た所へ、また一人菊池を入れた。私の方は千二百|刷《す》つて居て、外に官衙や銀行會社などの印刷物を一手に引受けてやつて居るので、少し宛積立の出來る月もあると、目の凹んだ謹直家《つゝましや》の事務長が話して居たが。……
私は、這※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》事情が解ると共に、スッカリ紙面の體裁を變へた。「毎日」の遣《や》り方は、喇叭節《ラッパぶし》を懸賞で募集したり、藝妓評判記を募つたり、頻りに俗受の好い様にと焦慮《あせ》つてるので、初め私も其向うを張らうかと持出したのを、主筆初め社長までが不賛成で、出來るだけ清潔な、大人らしい態度で遣れと云ふから、其積りで、記事なども餘程手加減して居たのだが、此頃から急に手を變へて、さうでもない事に迄「報知」式にドン/\二號活字を使つたり、或る酒屋の隱居が下女を孕《はら》ませた事を、雅俗折衷で面白可笑しく三日も連載《つゞき》物にしたり、粹界の材料を毎日絶やさぬ樣にした。詰り、「毎日」が一生懸命心懸けて居ても、筆の立つ人が無かつたり、外交費が無かつたりして、及びかねて居た所を、私が幸ひ獨身者には少し餘る位|收入《みいり》があるので、先方の路を乘越《のつこ》して先へ出て見たのだ。最初三面主任と云ふ事であつたのを、主筆が種々と土地の事業に關係して居て忙しいのと、一つには全《まる》七年間同じ事許りやつて來て、厭きが來てる所から、私が毎日總編輯をやつて居たので。
土地が狹いだけに反響が早い。爲《す》る事成す事直ぐ目に附く、私が編輯の方針を改めてから、間もなく「日報」の評判が急によくなつて來た。
恁《か》うなると滑稽《をかしな》もので、さらでだに私は編輯局で一番年が若いのに、人一倍大事がられて居たのを、同僚に對して氣耻かしい位、社長や理事の態度が變つて來る。それ許りではない、須藤氏が何かの用で二日許り札幌に行つた時、私に銀側時計を買つて來て呉れた。其三日目の日曜に、大川氏の夫人《おくさん》が訪ねて來たといふので吃驚《びつくり》して起きると、「宅に穿《は》かせる積りで仕立さしたけれど、少し短いから。」と云つて、新しい仙臺平の袴を態々持つて來て呉れた。
袴と時計に慢心を起した譯ではないが、人の心といふものは奇妙なもので、私は此頃から、少し宛現在の境遇を輕蔑する樣になつた。朝に目を覺まして、床の中で不取敢《とりあへず》新聞を讀む。ト、私が來た頃までは、一面と二面がルビ無しの、時としては艶種が二面の下から三面の冒頭《あたま》へ續いて居る樣な新聞だつたのが、今では全然《すつかり》總ルビ附で、體裁も自分だけでは何處へ出しても耻かしくないと思ふ程だし、殊に三面――田舍の讀者は三面だけ讀む。――となると、二號活字を思切つて使つた、誇張を極めた記事が、賑々しく埋めてある。フフンと云つた樣な氣持になる。若しかして、記事の排列の順序でも違つてると、「永山の奴仕樣がないな、いくら云つても大刷校正の時順序紙を見ない。」などと呟いて見るが、次に「毎日」を取つて見るといふと、モウ自分の方の事は忘れて、又候フフ[#「フフ」は底本では「フア」]ンと云つた氣になる。「毎日」は何日でも私の方より材料が二つも三つも少かつた。取分け私自身の聞出して書く材料が、一つとして先方に載つて居ない。のみならず、三面だけにルビを附けただけで、活字の少い所から假名許り澤山に使つて、「釧路」の釧の字が無いから大抵「くし路」としてあつた。新聞を見て了つて、起きようかナと思ふと、先づ床の中から兩腕を出して、思ひ切つて悠暢《ゆつたり》と身延《のび/\》をする。そして、「今日も亦社に行つてと……ええと、また二號活字を盛んに使うかナ。」と云ふ樣な事を口の中で云つて見て、そして今度は前の場合と少し違つた意味に於て、フフンと云つて、輕く自分を嘲つて見る。「二號活字さへ使へば新聞が活動したものと思つてる、フン、處世の秘訣は二號活字にありかナ。」などと考へる。
這※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》氣がし出してから、早いもので、二三日|經《た》つと、モウ私は何を見ても何を聞いても、直ぐフフンと鼻先であしらふ樣な氣持になつた。其頃は私も餘程土地慣れがして來て、且つ仕事が仕事だから、種々《いろ/\》の人に接觸して居たし、隨つて一寸普通の人には知れぬ種々《いろ/\》な事が、目に見えたり、耳に入つたりする所から、「要するに釧路は慾の無い人と眞面目な人の居ない所だ。」と云つた樣な心地が、不斷此フフンといふ氣を助長《たす》[#「長」は底本では「氣」]けて居た。
モ一つ、それを助長《たす》けるのは、厭でも應でも毎日顏を見では濟まぬ女中のお芳であつた。私が此下宿へ初めて移つた晩、此女が來て、亭主に別れてから自活して居たのを云々と話した事があつたが、此頃になつて、不圖《ふと》した事から、それが全然根も葉も無い事であると解つた。亭主があつたのでも無ければ、主婦《おかみ》が強《た》つて頼んだのでもなく、矢張普通の女中で、額の狹い、小さい目と小さい鼻を隱《かく》して了ふ程頬骨の突出た、土臼の樣な尻の、先づ珍しい許りの醜女《ぶをんな》の肥滿人《ふとつちよ》であつた。人々に向つて、よく亭主があつた樣な話をするのは、詰り、自分が二十五にもなつて未だ獨身で居るのを、人が、不容貌《ぶきりやう》な爲に拾手《ひろひて》が無かつたのだとでも見るかと思つてるからなので、其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《そんな》女だから、何の室へ行つても、例の取て投げる樣な調子で、四邊《あたり》構はず狎戲《ざれ》る、妙な姿態《しな》をする。止宿人《おきやく》の方でも、根が愚鈍な淡白《きさく》者だけに面白がつて盛んに揶揄《からか》ふ。ト、屹度《きつと》私の許へ來て、何番のお客さんが昨晩《ゆうべ》這※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》事を云つたとか、那※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《あんな》事をしたとか、誰さんが私の乳を握つたとか、夏になつたら浴衣を買つてやるから毎晩泊りに來いと云つたとか、それは/\種々《いろ/\》な事を喋《しやべ》り立てる。私はよく氣の毒な女だと思つてたが、それでも此滑稽な顏を見たが最後、腹の蟲が喉《のど》まで出て來て擽る樣で、罪な事とは知り乍ら、種々《いろ/\》な事を云つて揶揄《からか》ふ。然も、怎したものか、生れてから云つた事のない樣な際敏《きはど》い皮肉までが、何の苦もなく、咽喉から矢繼早に出て來る。すると、芳ちゃんは屹度《きつと》怒つた樣な顏をして見せるが、此時は此女の心の中で一番嬉しい時なので、又、其顏の一番|滑稽《おどけ》て見える時なのだ。が、私は直ぐ揶揄《からか》ふのが厭になつて了ふので、其度《そのたび》、
『モウ行け、行け。何時まで人の邪魔するんだい、馬鹿奴。』
と怒鳴りつける。ト、芳ちゃんは小さい目を變な具合にして、
『ハイ行きますよ。貴方《あなた》の位《くれゑ》隔てなくして呉れる人ア無《ね》えだもの。』
と云つて、大人《おとな》しく出て行く。私は何日か、此女は、アノ大きな足で、「眞面目」といふものの影を消して歩く女だと考へた事があつた。
社に行くと、何日《いつ》でも事務室を通つて二階に上るのだが、餘り口も利かぬ目の凹んだあ事務長までが、私の顏を見ると、
『今日は橘さんへ郵便が來て居なんだか。』
と受付の者に聞くと云つた調子。編輯局へ入つても、兎角私のフフンと云ふ氣持を唆《そそ》る樣な話が出る。
其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《そんな》話を出さぬのは、主筆だけであつた。主筆は、體格の立派な、口髭の嚴《いかめ》しい、何處へ出しても敗《ひけ》をとらぬ風采の、四十年輩の男で、年より早く前頭の見事に禿げ上つてるのは、女の話にかけると甘くなる性《たち》な事を語つて居た。が、平生は至つて口少なな、
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