「日報」と運命を共にして來て、(初めは唯一人で外交も編輯も校正も、時としては發送までやつたものださうだが、)毎日々々土地の生きた事件を取扱つて來た人だけ、其説には充分の根據があつた。主筆は、北海道の都府、殊にも此釧路の發達の急激な事に非常の興味をもつて居て、今でこそ人口も一萬五千に滿たぬけれど、半年程前に此處と函館とを繋いだ北海道鐵道の全通して以來、貨物の集散高、人口の増加率、皆月毎に上つて來て居るし、殊に中央の政界までも騷がして居る大規模の築港計畫も、一兩年中には着手される事であらうし、池田驛から分岐する網走《あばしり》線鐵道の竣工した曉には釧路、十勝、北見三國の呑吐港となり、單に地理的事情から許りでなく、全道に及ぼす經濟的勢力の上でも釧路が「東海岸の小樽」となる日が、決して遠い事で無いと信じて居た。されば、此釧路を何日まで「日報」一つで獨占しようとするのは無理な事で、其爲には、却つて「毎日」の如き無勢力な新聞を、生さず殺さずして置く方が、「日報」の爲に恐るべき敵の崛起《くつき》するのを妨げる最良の手段であると云ふのが此人の對「毎日」觀であつた。
 にも不拘《かゝわらず》、此三人の人
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