消えた。今度は楕圓形な翳《かげ》が横合から出て來て、煙の樣に、動いて、もと來た横へ逸《そ》れて了ふ。ト、淡紅色《ときいろ》の襖がスイと開いて、眞黒な鬚面の菊池君が……
足音がしたので、急いで手を出して手巾《はんかち》を顏から蒲團の中へ隱す。入つて來たのは小い方の女中で、鐵瓶と茶器を私の手の屆く所へ揃へて、出て行く時一寸立止つて枕頭を見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]した。芳の奴が喋《しやべ》つたなと感付く。怎したものか、既《もう》茶を入れて飮まうと云ふ氣もしない。
昨晩《ゆうべ》の事が歴々《まざ/\》と思出された。女中が襖を開けて鬚面の菊池君が初めて顏を出した時の態《さま》が目に浮ぶ。巖の樣な日下部君と芍藥の樣な市子の列んで坐つた態、今夜は染直したから新しくなつたでせうと云つて、ヌット突出した志田君の顏、色の淺黒い貧相な一人の藝妓が、モ一人の袖を牽いて、私の前に坐つて居る市子の方を顋で指し乍ら、何か密々《ひそ/\》話し合つて笑つた事、菊池君が盃を持つて立つて來て、西山から聲をかけられた時、怎やら私達の所に坐りたさうに見えた事、雀躍《こをどり》する樣に身體を搖がして
前へ
次へ
全56ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング