人で無いと味方になれん樣な氣がする。』
『私の顏は隨分古いけれど、今夜は染直したから新しくなつたでせう。』と、志田君は、首から赤銅色になつた醉顏を突出して笑つた。
 市子は、仰ぐ樣にして横から日下部君の顏を見て居たが、
『私一度貴方にお目にかかつてよ、ねえ。』
『さうか、僕は氣が附かなかつた。』
『マア、以前《このまへ》も家《うち》へ入《いら》しつた癖に、…………薄情な人ね、此方は。』
と云つて、夢見る樣な目を私に向けて、微かな笑ひを含む。
『橘さんは餘り飮《や》らん方ですね。』と云つた樣な機會《きつかけ》から、日下部君と志田君の間に酒の論が湧いて、寢酒の趣味は飮んでる時よりも飮んで了つてからにある、但しこれは獨身者でなくては解りかねる心持だと云ふ志田君の説が、隨分と立入つた語を以て人々に腹を抱へさせた。日下部君は朝に四合、晩に四合飮まなくては仕事が出來ぬといふ大酒家で、成程|先刻《さつき》から大分傾けてるに不拘《かゝわらず》、少しも醉つた風が見えなかつたが、
『僕は女にかけては然程《さほど》慾の無い方だけれど、酒となつちや然《さ》うは行かん。何處かへ、一寸飮みに行つても、銚子を握つて
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