》えて居る。玄關から上ると、右と左が事務室に宿直室、奧が印刷工場で、事務室の中の階段を登れば、二階は應接室と編輯局の二室《ふたま》。
 編輯局には、室の廣さに釣合のとれぬ程大きい煖爐《ストーブ》があつて、私は毎日此|煖爐《ストーブ》の勢ひよく燃える音を聞き乍ら、筆を動かしたり、鋏と糊を使ふ。外勤の記者が、唇を紫にして顫へ乍ら歸つて來ると、腰を掛ける前に先づ五本も六本も薪を入れるので、一日に二度か三度は、必ず煖爐《ストーブ》が赤くなつて、私共の額には汗が滲み出した。が、夕方になつて宿に歸ると、何一つ室を賑かにして見せる裝飾が無いので、割合に廣く見える。二階の八疊間に、火鉢が唯一個、幾何《いくら》炭をつぎ足して、青い焔の舌を斷間《しきり》なく吐く程火をおこしても、寒さが背から覆被《おつかぶ》さる樣で、襟元は絶えず水の樣な手で撫でられる樣な氣がした。字を五つ六つ書くと、筆の尖がモウ堅くなる。インキ瓶を火鉢に縁に、載せて、瓶の口から水蒸氣《ゆげ》が立つ位にして置いても、ペンに含《ふく》んだインキが半分もなくならぬうちに凍つて了ふ、葉書一枚書くにも、それは/\億劫なものであつた。初めての土地で、友人と云つては一人も無し、恁《か》う寒くては書《ほん》を讀む氣も出ぬもので、私は毎晩、唯モウ手の甲をひつくり返しおつくり返し火に焙《あぶ》つて、火鉢に抱付く樣にして過した。一週間許り經《た》つて、私は漸々《やう/\》少し寒さに慣れて來た。
 二月の十日頃から、怎《どう》やら寒さが少しづつ緩《ゆる》み出した。寒さが緩み出すと共に、何處から來たか知らぬが、港内には流氷が一杯集つて來て、時々雪が降つた。私が來てから初めての記者月例會が開かれたのも、恰度一尺程もの雪の積つた、或る土曜日の夕であつた。

      二

 釧路は、人口と云へば僅か一萬五千足らずの、漸々《やう/\》發達しかけた許りの小都會だのに、怎《どう》したものか新聞が二種《ふたつ》出て居た。
 私の居たのは、「釧路日報」と云つて、土地で人望の高い大川道會議員の機關であつた。最初は紙面が半紙二枚程しかないのを、日曜々々に出して居たのださうだが、町の發達につれて、七年の間に三度四度擴張した結果、私が行く一週間許り前に、新築社屋の落成式と共に普通の四頁新聞になつた。無論これまでに漕ぎつけたのは、種々な關係が結びついた秘密の後援者があるからで、新聞|獨自《ひとりで》の力では無いが、社の經濟も案外巧く整理されて居て、大川社長の人望と共に、「釧路日報」の信用も亦、町民の間に餘程深く植ゑつけられて居た。編輯局には、主筆から校正まで唯《たつた》五人。
 モ一つは「釧路毎日新聞」と云つて、出來てから漸々《やう/\》半年位にしかならず、社も裏長屋みたいな所で、給料の支拂が何時でも翌月になるとか云ふ噂、職工共の紛擾《ごた/\》が珍しくなく、普通《あたりまへ》の四頁の新聞だけれど、廣告が少くて第四面に空所《あき》が多く、活字が足らなくて假名許り澤山使ふから、見るから醜い新聞であつた。それでも記者は矢張五人居た。
 月例會と云ふのは、此兩新聞の記者に、札幌、小樽、旭川などの新聞の支社に來て居る人達を合せて、都合十三四人の人が、毎月一度宛集るといふので、此月のは、私が來てから初めての會ではあり、入社の挨拶を新聞に載せただけで、何處へも改めては顏を出さずに居たから、知らぬ顏の中へ行くんだと云つた氣が、私の頭腦を多少|他所《よそ》行の心持にした。午後四時からと云ふ月番幹事の通知だつたので、三時半には私が最後の原稿を下した。
『今日は鹿島屋だから、市子のお酌で飮める譯だね。』
と云つて、主筆は椅子を暖爐《ストーブ》に向ける。
『然し藝妓も月例會に出た時は、大變|大人《おとな》しくして居ますね。』
と八戸《はちのへ》君が應じた。
『その筈さ、人の惡い奴許り集るんだもの。』
と笑つて、主筆は立上つた。『藝者に記者だから、親類同志なんだがね。』
『成程、何方も洒々《しやあ/\》としてますな。』
と、私も笑ひながら立つた。皆が硯箱に蓋をしたり、袴の紐を締直したり、莨を啣へて外套を着たりしたが、三面の外交をして居る小松君が、突然。
『今度また「毎日」に一人入つたさうですね。』と言つた。
『然《さ》うかね、何といふ男だらう?』
『菊池ツて云ふさうです。何でも、釧路に居る記者の中では一番|年長者《としより》だらうツて話でしたよ。』
『菊池|兼治《かねはる》と謂ふ奴ぢやないか?』と主筆が喙《くち》を容れた。
『兼治《かねはる》? 然うです/\、何だか武士《さむらひ》の樣な名だと思ひました。』
『ぢや何だ、眞黒な顋鬚《あごひげ》を生やした男で、放浪者《ごろつき》みたいな?』
『然《さ》うですか、私はまだ逢はないんですが。』
『那※[#「
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