其擧動が吹き出さずに居られぬ程滑稽に見えて、何か戲談でも云ふと些《ちつ》とも可笑しくない。午前は商況の材料取に店※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]りをして、一時に警察へ行く。歸つてから校正刷の出初めるまでは、何も用が無いので、東京電報を譯さして見る事などもあるが、全然頭に働きが無い、唯五六通の電報に三十分も費して、それで間違ひだらけな譯をする。
 少し毛色の變つてるのは、小松君であつた。二十七八の、髭が無いから年よりはズット若く見えるが、大きい聲一つ出さぬ樣な男で居て、馬鹿に話好《はなしづ》きの、何日《いつ》でも輕い不安に襲はれて居る樣に、顏の肉を痙攣《ひきつ》けらせて居た。
 此小松君は又、暇さへあれば町を歩くのか好きだといふ事で、市井の細かい出來事まで、殆んど殘りなく聞込んで來る。私が、彼の「毎日」の菊池君に就いて、種々《いろ/\》の噂を聞いたのも、大抵此小松君からであつた。
 其話では、――菊池君は贅澤にも棧橋前の「丸山」と云ふ旅館に泊つて居て、毎日|草鞋《わらぢ》を穿《は》いて外交に※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つて居る。そして、何處へ行つても、
『私は「毎日新聞」の探訪で、菊池兼治と云ふ者であります。』
と挨拶するさうで、初めて警察へ行つた時は、案内もなしにヅカ/\事務室へ入つたので、深野と云ふ主任警部が、テッキリ無頼漢か何か面倒な事を云ひに來たと見たから、『貴樣は誰の許可《ゆるし》を得て入つたか?』
と突然怒鳴りつけたと云ふ事であつた。菊池君は又、時々職工と一緒になつて酒を飮む事があるさうで、「丸山」の番頭の話では、時として歸つて來ない晩もあると云ふ。其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《そんな》時は怎も米町《よねまち》(遊廓)へ行くらしいので、現に或時《いつか》の晩の如きは職工二人許りと連立つて行つた形跡があると云ふ事であつた。そして又、小松君は、聨隊區司令部には三日置位にしか材料が無いのに、菊池君が毎日アノ山の上まで行くと云つて、笑つて居た。
 四時か四時半になると、私は算盤を取つた、順序紙につけてある行數を計算して、
『原稿|出切《できり》。』
と呼ぶ。ト、八戸君も小松君も、卓子《テーブル》から離れて各々《めい/\》自分の椅子を引ずつて煖爐《ストーブ》の周邊《あたり》に集る。
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