み足に急いで居た。荷馬橇の馬は、狹霧《さぎり》の樣な呼氣《いき》を被《かぶ》つて氷の玉を聨ねた鬣《たてがみ》を、寒い光に波打たせながら、風に鳴る鞭を喰つて勢ひよく駈けて居た。
 二三日して私は、洲崎町の或下宿へ移つた。去年の春までは、土地で少しは幅を利かしたさる醫師の住つて居た家とかで、室も左程に惡くは無し、年に似合はず血色のよい、布袋の樣に肥滿《ふと》つた、モウ五十近い氣丈の主婦《おかみ》も、外見《みかけ》によらぬ親切者、女中は小さいのを合せて三人居た。私が移った晩の事、身體の馬鹿に大きい、二十四五の、主婦《おかみ》にも劣らず肥滿《ふと》つた小さい眼と小さい鼻を掩ひ隱す程頬骨が突出て居て、額の極めて狹い、氣の毒を通越して滑稽に見える程不恰好な女中が來て、一時間許りも不問語《とはずがたり》をした。夫に死なれてから、一人世帶を持つて居て、釧路は裁縫料《したてちん》の高い所であれば、毎月|若干宛《いくらかづゝ》の貯蓄もして居たのを、此家の主婦《おかみ》が人手が足らぬといふので、強《たつ》ての頼みを拒み難く、手傳に來てからモウ彼是半年になると云つた樣な話で、「普通《たゞ》の女中ぢやない。」といふ事を、私に呑込ませようとしたらしい。後で解つたが、名はお芳と云つて、稼ぐ時は馬鹿に稼ぐ、怠《なまけ》る時は幾何《いくら》主婦《おかみ》に怒鳴られても平氣で怠ける、といふ、隨分|氣紛《きまぐ》れ者であつた。
 取分けて此下宿の、私に氣に入つたのは、社に近い事であつた。相應の賑ひを見せて居る眞砂町の大逵《おほどほり》とは、恰度《ちやうど》背中合せになつた埋立地の、兩側|空地《あきち》の多い街路を僅か一町半許りで社に行かれる。
 社は、支廳坂から眞砂町を突切つて、海岸へ出る街路の、トある四角《よつかど》に立つて居て、小さいながらも、ツイ此頃落成式を擧げた許りの、新築の煉瓦造、(これが此社に長く居る人達の北海道に類が無いと云ふ唯一つの誇りであつた。)澄み切つた冬の空に、燃える樣な新しい煉瓦の色の、廓然《くつきり》と正しい輪廓を描いてるのは、何樣《なにさま》木造の多い此町では、多少の威嚴を保《たも》つて見えた。主筆から見せられた、落成式の報告見たいなものの中に、「天地一白の間に紅梅一朶の美觀を現出したるものは即ち我が新築の社屋なり。」と云ふ句があつて、私が思はず微笑したのを、今でも記憶《おぼ
前へ 次へ
全28ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング